以前、ヴァレンティーノ・ロッシ選手の2001年のインタビュー記事を紹介したんですが…
こちらですね。
『若き日のロッシが語る:人生で大切なものは1位セックス、2位オートバイ、3位…』
実は昨年、同様に2001年のローリス・カピロッシ選手のインタビュー記事と言うのも出ていたんですよ。
んじゃ、2回に分けてご紹介しますね。
『カピロッシ:ロッシとビアッジは似た者同志だから憎み合う』
★2001年、まだ現役だったローリス・カピロッシが、次のように語った。
(※当時、28才。最高峰500ccクラス4年目で、ホンダ機で参戦していた)
【初めて乗ったマシンを覚えてる?】
「父からのプレゼントで…解体されたオートバイ4〜5台の部品を合体させて作ってくれたんですよ。」
【何才の頃?】
「4〜5才かな。」
【その後は…】
「小学校に通ってた頃、バスがいつも坂の下で止まってたんですよ。そこにスクーターを置いておいて…それで家まで帰ってました。エンジンが付いてる物なら、もう何だって夢中になって見てましたね。子供の頃に読んでもらって…気に入っていたお話とかね。うちの兄のダヴィデが発明家だったんですよ。僕が11才で兄が12才の時、車を何台か手に入れて…フィアット850だったねぇ…それを全部分解して…ロールケージを作って、モトクロスのバイクを乗せられるようにしたんですよ。」
【2輪レースに参戦し始めたのは何才の時?】
「叔父に手伝ってもらって、80ccマシンを作ったんですよ。僕は参戦できなくてね…当時のイタリア選手権は14才以下の参戦は禁止してたから。」
【それで、どうしたの?】
「ワンメイク杯に出ました。本物のオートバイに乗った事がなくてね。ずっとモトクロスに乗ってるみたいな走り方ばかりしてたなぁ。コーナーではバンクせずに、片足を突き出して。けっこう笑えましたよ。その後、ヨーロッパの大会に出たんだが…これがまた実に高くて…。1989年で6000万リラ(約400万円)だったんですよ。大金ですよね。」
【誰のサポートでキャリアを進められた?】
「父が僕の事を信じてくれてね。僕は1日11時間働いてたんですよ…電気会社で照明の変圧器を作ってました。大きなチャンスがやって来そうだった時に肩と手首を骨折してしまってね。レース参戦が続けられるよう、父は家を抵当に入れてくれてたんで…がっかりさせる訳にはいかなくてね。」
【それで?】
「テストなしでコースに出ました。4位でしたね。その翌年、ピレリチームから最初のコンタクトが来たんですよ。」
【契約条件は?】
「1か月100万リラで。嬉しかったですねぇ…レーサーとしてのキャリアが始まったんだから。」
【キャリアスタート前にも事故…ずっと事故には付きまとわれてきているが…】
「事故はどっさりやってきましたね。骨折は…両手に両手首、両肩、両足、両くるぶし、胸骨、鎖骨。一番大変だったのは両手ですね。僕のはガラスのように脆くって…骨折に継ぐ骨折でしたよ。」
【危険を減らすような工夫は?】
「新しいグローブを発明しようって思いましたね。僕がデザインして、友人の1人と一緒に素材も選んで。路面との衝撃を吸収し…もしマシンに挟まれたりしたら、(グローブの)上の部分が剥がれて、手が抜けるようになってるんです。グローブ内側にカーボンを入れて、手に直接衝撃が伝わらないようにしてね。新カーボンを使ったんで、丈夫で伸縮性もある。グローブの表面には凹凸をつけてね。」
【レース中、負傷する事について、一度も恐くなかった?】
「一番の恐怖って言うのは、転倒した時に、どうしてそうなったかが分からない時ですね。」
【そう言った恐怖を、どうやってコントロールするの?】
「そんな贅沢な事はしてられません。ちょっとでも恐怖があれば、60%の走りになってしまう…つまり、最下位になるって事ですよ。去年のアッセン戦で左手を骨折したんだが…2ヶ所ね。1ヶ所は複雑骨折で、もう1ヶ所は掌骨の第1と第2に単純骨折。もう地獄の苦しみでね…辛かったけど、レースに出ましたよ。自分が感じていた…あの感覚は、悪いようには思えないが…でも上手く説明もできないですね。腕全体に電流が走ったみたいな…信じられないような激痛でした。」
【痛み・苦しみについて、どうやってライダーは敷居を上げていくの?】
「痛みは、意思の力と集中力で乗り越えられるが、無意識下では常に恐怖がわずかに残ってますね。だから、僕にとって完璧なライダーと言うのは、人より度胸があって、思い切った事ができるライダーで…そして特に、この恐怖を制することのできるライダーですね。」
【自分のことを不運なライダーだと思う?】
「いいえ。自分のキャリアを見れば、思いませんね。常に戦闘力の高いマシンに乗ってこれたし、重要なチームで参戦もしてきた…毎年、レース優勝も何回かあったし。まぁ、不運もありましたけどね。」
【どんな不運?】
「2000年シーズンの僕について話題にしたら…『カピロッシって、どれだけ転倒してるんだって』思うでしょ。でも実際は、マシンから転倒したのは4回だけで…でも常に骨折してたんです。ビアッジやロッシはどれだけ転倒したって、どこも折れやしない。」
【酷い事故に遭遇すると、引退を考えたりしない?】
「1995年のフランス戦はそうでしたね。FP中に転倒し、片足と肩を骨折したんです。あの時は、『オレの冒険も、これでお終い』って言ってましたよ。けっこうな重症でね。普段、父は口を挟んだりしないタイプなんですが、でも、この時ばかりはモバイルクリニックにやって来て、こう言ってきましたね…『もうお前は勝ったんだ…食べていけるだけの金もある。全て終わらせて、人生を考えろ』って。すぐに僕も思いましたよ…『父の言ってる事は正しい』って。」
【そして…】
「サーキット場を後にし、飛行機に乗って…他の選手のマシンがFPでスタートするのを見て…自分がそこに居ないって事で、嫌な気持ちになってね。帰宅して、TVでレースを観たんですよ。そうしたら、もう走りたくて走りたくて…堪らなくなってしまって。」
[ 後半に続く ]
(2014年01月17日Gpone記事参照)
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淡い記憶ですが、洋品店で市販商品のカピレックスと入ったゴツゴツのグローブを見た気がします。
洋品店…