MotoGP

『私はロッシでレースを辞めました』ホルヘ・マルティネス

『マルティネス:私はロッシでレースを辞めました』

ホルヘ・マルティネス元選手は1986/1987/1988年に80cc総合優勝、1988年に125cc総合優勝した。
現在、『アスパーチーム』の代表で、2020年はアルベルト・アレーナスがモト3総合優勝を果たした。

★1996年にヴァレンティーノ・ロッシが125ccクラスでデビューした。当時、同クラスに参戦していたマルティネス元選手は、1997年末に引退している。

★マルティネス氏が最近のインタビューで、次のように話した。

「二輪レースは、私の全てだから。物心ついた時から、ヴァレンシアなんかの地方レースに出て、マシンを磨いてましたよ。二輪レースは私の人生そのものでね。」

【世界選手権での初タイトルは80ccクラスで、1984年のオランダ戦で決めていたが…】
「初タイトル獲得は、公私ともに衝撃的でしたね。結局、現役中に100勝以上し、4回タイトルを取ったんで、なかなかのリザルトでしたよ。
まぁ、それでも引退する時は、もっと勝っておけば良かったって思うものだけどね。」

【1996年にロッシ選手がデビューし、その翌年に貴方は引退したが…】
「髪を染めてピアスをし、スーパーマンみたいな走りをしている若造を見た時、『俺の時代も、もう終わる…』って悟りましたね。
ロッシは私にとって、初めてショックを受けた存在でしたよ。96年には2回ほど競り合い、97年にはロッシのせいで引退する気持ちになったと言ってもいいでしょう。」

【当時、貴方もロッシ選手もアプリリア機に乗っていたが…】
「あの頃、私はアプリリアに利用されてたんですよ…私はテクニカルなライダーだったんで、ロッシのマシンを準備するのに利用されてたんです。あれはねぇ…けっこう嫌なもんでしたよ。」

【現在は、チームマネージャー業をしているが…】
「二輪レーサーの方が、ずっと良いですよ。まぁ、マネージャー業も好きだけどね。ただ、やることが多いから睡眠時間も少ないし、収入なんてもっと少ないからねぇ。」

(参照サイト:『Corse di moto』)
(参照サイト:『Tuttomotoriweb』)
(参照サイト:『Automotorinews.it』)
(Photo:Twitter

オランダGP決勝戦を左右した6つの鍵については、note『2021オランダGPまとめ』でどうぞ!

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POSTED COMMENT

  1. スポンジボバー より:

    禁煙パイポ

  2. BlueXP より:

    タイトルがマルティンになってます。

  3. フレッド より:

    タイトルが”マルティン”になってるよ。

  4. La Chirico より:

    有難うございます♥
    本文でも1回やってしまい、訂正したんですが…
    やっぱ、若い方に気持ちがいっちゃうんですかねぇ…(遠い目)

  5. nav. より:

    昭和かw

    この当時、同じカテゴリには、アスパー、ルーチョ、アルサモーラの今をときめくチーム幹部陣、それを数と実力で凌ぐ大日本帝国軍と、今思うと中々の時代でしたね。
    125がこんなに激しいんだと知った思い出の時代です。

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