『ストーナー:昔、ヤマハにスケープゴートにされ…後悔させてやろうと思った!』
★ケーシー・ストーナー(2007年にドゥカティ機で、2011年にホンダ機でモトGP総合優勝)が『TNT Sports』のインタビューで、モトGPデビュー当時のヤマハとの苦い思い出について語った。
【貴方は2006年にホンダLCRからモトGPデビューをしたが、実はヤマハからデビューする話もあったそうで…】
「2005年に(ヤマハの)プライベートチームからデビューし、2006年にファクトリーに昇格するって話だったんですが…突然、音信が途絶えてしまったんです。
まぁ、(ヤマハ側が)僕を利用していたことは明らかで…他の誰かを安い契約金で説得するため、僕をスケープゴートにしてたんですよ!」
【結局、ホンダLCRからデビューした貴方は、ルーキーながらPPや表彰台を獲得し…】
「そうしたら、また(ヤマハから)2007年に向けてのオファーが来たんですが…結局、その話も立ち消えてしまい…
それで、また道が途絶え、行き先の見えない迷子状態になってしまったんです。」
【ところが…】
「ドゥカティが接近してきたんですよ。」
【そして、2007年に貴方はドゥカティファクトリーに移籍した…】
「『ヤッター!凄いぞ、素晴らしいぞ!!』って言うこともできるんでしょうけどねぇ…でも、実際のところ、僕は『つなぎの選手』に過ぎなかったんですよ。
(2008年にマルコ・メランドリを獲得するための)穴埋めに過ぎなかったんです…。
ところが、その年、僕はタイトルを取ったじゃないですか。
正直な話、ヤマハとの一件のおかげでモチベーションが上がったんですよね。
開幕した時、僕の目標は『何回か表彰台に上がること』ぐらいだったんですが…でも、(ヤマハに)僕を選ばなかったことを後悔させてやると言うのもあったんです。」
(参照サイト:『Corse di moto』)
(Photo:Instagram)
ディッジャ:絶妙なタイミングで意地を見せた!…って話は、note『2023 カタールGPまとめ』でどうぞ!
ロッシがストーナーのヤマハ入りに反対したのでしょうね。
最高にカッコいい。「目にモノ見せてやる」って誓って実行できちゃう才能。それがストーナーという男。
タイヤがブリヂストンじゃなかったら、どうなったいたんでしょうね、、、歴史とは複雑ですね。
日本メーカーはどこを問わず確かに、勝てばマシンとメーカーのおかげで、上から目線でライダーは二の次に扱うところあるよ。
開発もライダー主導より、エンジニア主導だから。
それが現状の低迷を招いた原因でもあると思う。
ホンダはドゥーハンからロッシ時代の圧勝の時が長かったもんねぇ
ヤマハはロッシのおかげで勝てるようになったし、ホルヘ移籍したら勝てなくなったから解ってると思うけどな
でも今の時代はマシンの影響は強そうよね
でもまぁストーナーはかっこいいねぇ