MotoGP

小椋藍『これまでのキャリアで一番キツかった時期は…?』

『オグラ:これまでのキャリアで一番キツかった時期は…?』

★11月1〜3日、マレーシアGPが行われ、モトGPクラスのアイ・オグラ(23才、MT Helmets – MSI)が予選7位、決勝はリタイアした。

★第11ラップで3位走行中、マシントラブルによりリタイアした。なお、前回のタイGP決勝で既にモト2タイトルを獲得している。

★11月1日、金曜セッション終了後、オグラ選手が伊サイト『Mowmag.com』のインタビューで次のように話した。

【お父さんが元二輪レーサー、お姉さんもミニバイクでかなり速かったそうで…二輪レーサー一家と言うこと?】
「はい、父は二輪レーサーでした…でも、正確にはプロではなかったです。まぁ、お金は全て、レースのために使ってましたけどね。
多分、全日本ロードレース選手権に出るのが夢だったんだと思います…もしかしたら世界選手権も出たかったのかも…良く分かりませんけどね。
でも、叶わなかったので、もしかしたら姉や僕に夢を託したのかもしれません。姉は速かったですよ…でも、今はもうオートバイには乗ってません。
僕は夢を叶え…まだ上手く説明できないんですが、家族の顔を見た時は本当に格別でした。」

【いよいよ自分はプロレーサーになるんだなって実感した瞬間は…?】
「『Asia Talent Cup』選考会への参加申し込みをした時です。
その時、『これは遊びじゃないんだ』って思って…このチャンスのために家族も全力でサポートしてくれて、『何がなんでもやり遂げなければ』って思いました。」

【その後、2022年マレーシア決勝のような試練もあり…でも、これまでの苦労はモトGPクラスで役に立ちそう?】
「ミスはミスですからねぇ。でも、不思議なもんで…こうしてタイトルを取った今は、これまでのミスや苦労には何か意味があったんだっと思えるんです。今は苦い思い出も含め、ポジティブに受け止められるんですよ。
まぁ、タイトルを取ったから、こう言う風に言えるんだろうけど…でも、そう言う諸々のおかげで良い選手になって、成長できたのかもしれません。
ミスも苦労も、すべてに意味があるんですね。」

【一番キツかった時期は…?】
「世界選手権に参戦する前です…『Asia Talent Cup』に初めて出た年は超遅で、『Red Bull Rookies Cup』の初シーズンもそうでした。とにかくギリギリで、出場停止にされてもおかしくなかったでしょうね。
その辺りが本当にキツくって…世界選手権に出るぐらいになれば、もうそれなりの年齢だから色々と状況も理解できるじゃないですか。遅い理由も探れるけど、でも、14〜15才の時は『あぁぁ〜遅い』ってだけで…原因を探ったりもしないんですよ。
本当にキツかったです…後ろに下がりっぱなしで。でも、どうにかこうにか乗り切りました。多分、あの頃が自分のキャリアでいちばん重要な時期だったんだと思います。」

[ 中編に続く ]

(参照サイト:『Corse di moto』)
(参照サイト:『Mowmag.com』)
(Photo:Instagram

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POSTED COMMENT

  1. maxtu より:

    姉っち、ピットに来てましたね
    解説のタクマが華恋ちゃん、と呼ぶくらい昔から速くて有名な姉弟と言ってましたが、現役女子オートレーサーというのは知らなかったです

    世界中でも姉弟レーサーは珍しいし、切磋琢磨して益々の活躍を楽しみにします

  2. フルバンク より:

    実はMotoGP昇格を1番喜んでいるのはタイGPで藍&歩夢選手の旗を観客席で振っていたお父さんかも知れない。
    スルスルッと昇格した様に見え、実は…いい年月で仕上げて来たんだ。

  3. NSR50 より:

    確かにモト3昇格時はそんなに速くもなく、注目もされてなかったけど、2年目で慣れて、3年目でトップグループに顔をだして、モト2でもそうだったから、やはり世界選手権で頭角を出すには2~3年必要っていうのは納得できますね。

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