『ドゥカティ:ロッシのために2年間で7種類のマシンを作ったが…』
★ヴァレンティーノ・ロッシ(45才)は2000年にホンダ機で最高峰クラスにデビューし(※当時は500ccクラス)、2001/2002/2003年にタイトルを獲得した。
2004年にヤマハファクトリーに移り、同年/2005/2008/2009年にタイトルを獲得し、2011年にドゥカティファクトリーに移籍した。
2013年にヤマハファクトリーに戻り、2021年にヤマハプライベートチームから参戦し、同年末に引退した。
★1997〜2010年までのロッシ選手は総合首位〜3位をコンスタントに獲得していたが、ドゥカティでの2年間は表彰台を3回獲得しただけで(2位2回、3位1回)、総合順位も7位と6位だった。
★先日、スペイン『Dazn』のドキュメンタリーで、フアン・マルティネス(※当時、ドゥカティでチーフメカニックを担当)が次のように話した。
【ロッシ元選手が所属していた頃のドゥカティ機は、どんなものだったの?】
「(当時、テクニカルディレクターだった)フィリッポ・プレツィオージが設計したもので、外周フレームを使用しないことを前提に作られていました。
開発プロジェクトにおいて、そこがかなり重要なポイントだったんですが…ロッシ加入により、そこも変更されることになったんです。
ドゥカティ機を、ちょっとヤマハ風に変えようって言う意図でした。」
【それは可能なことなの?】
「コンセプトが違いますからね。だから、最終的に同じ結果にはならないんですよ。」
【ロッシ元選手の指示のもと、ドゥカティ機はどう言う風に変わっていったの?】
「人間工学的な観点からすると、特に幅が広かったですね。そのため、マシンの上でのライダーの身体移動が制限され、パフォーマンスの妨げになってました。
結局、2年間で7バージョンのマシンが作られたんですけどね。」
【しかし、リザルトは伸びなかった…】
「ある時点で、SNSをブロックする必要まで出てきてしまい…(ドゥカティ側の)マネージメントやロッシのリザルトに対し、批判が酷かったもんですから。
(ドゥカティにとっては)大きなショックで…クラウディオ・ドメニカーリCEOもショックを受けてました。」
(参照サイト:『Moto.it』)
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2年で7バージョンは現代のコンセッションでもホンダもヤマハも出来ないでしょう。あの時代のロッシとドゥカティの関係性のみ成りたった。
それでも現代には生かされないコンセプトだろう。
ロッシの要望でカーボンフレームがアルミのツインスパーフレームに変わったから今のマシンの原型よね。加入してなけりゃもしかしたら今もカーボンのままだったかもしれない。
身体移動が制限され・・・興味深いコメントですね。
元々ロッシはバイクを自分の管理下に置く(バイクをある程度ホールドしてやる)ようなライディングスタイルだったのですが、そのロッシがドカで苦戦しているときに「もっとバイクを自由にしてやらなければダメ」的なコメントをKCが言っていたのを思い出します。
身体移動が制限され・・・興味深いコメントですね。
元々ロッシはバイクを自分の管理下に置く(バイクをある程度ホールドしてやる)ようなライディングスタイルだったのですが、そのロッシがドカで苦戦しているときに「もっとバイクを自由にしてやらなければダメ」的なコメントをKCが言っていたのを思い出します。
ロッシの嫌いなホンダのV5みたいなマシンだったんじゃないかと思う。
ドクターではなかったってことやね
ロッシのおかげで今に続くDUCATIがあるみたいな主張は無理がある
嫌いってこともないだろ。勝ちまくったV5デスよ?
そういやアルミのツインスパーってドカ作ったことないから外注してたけど今も?
そうそう、RCVは嫌いじゃないはず、マシンのおけげで勝ててるって言われるのが嫌い。