『ドヴィツィオーゾ:ロッシ離脱後のドゥカティは…カオス状態だった』
★アンドレア・ドヴィツィオーゾ(38才)は、2008年にホンダプライベートチームからモトGP昇格した。
2009年にホンダファクトリーに昇格し、2011年にはペドロサ/ストーナーと共に3人体制となった。
2012年にヤマハプライベートチームに移り、2013〜2020年までドゥカティファクトリーから参戦した(※2017〜2019年には、マルク・マルケスとタイトル争いをしている)。
2021年シーズン後半よりヤマハプライベートチームから参戦し、2022年シーズン途中で引退した。
★先日、スペイン『Dazn』のドキュメンタリーで、ドヴィツィオーゾ元選手が次のように話した。
【どのような経緯でドゥカティファクトリーに移籍したの?】
「2012年に僕はヤマハテック3から参戦し、ヤマハファクトリー昇格を目指してたんですが…ヴァレンティーノ・ロッシが(2013年の)ヤマハ復帰を決めてしまったんですよ。
行き場がなくなったと思ってたら、ドゥカティが門戸を開いてくれたんです。」
【2013年のドゥカティファクトリーは…どんな感じだったの?】
「けっこうな混乱状態でした。エンジニア陣もスタッフ陣も充分な資質の人達だったんですが、カオス状態になっていて…ヒエラルキーと言うか、権力構造がはっきりしてなかったんです。」
【当時のドゥカティ機は…?】
「複雑なものではなく…上手く機能はしてなかったですね。レースでは毎回、40〜45秒も引き離されてました。
戦闘力は低く、生産的な作業が行われてなかったんですよ。レース終盤で大きく引き離され、改善も見られないとなると…なにかと厳しくなってしまうものでしょ。」
【2013年末にはジジ・ダッリーニャが、ゼネラルマネージャーとして加入したが…】
「あの頃、リーダー的な存在が必要だったんですが…ダッリーニャは全ての作業を、早々に明確化していきました。
何年もかかりはしたけど、でも、当然でしょう…日本メーカー陣を相手に戦っていたんだし、当時の日本メーカーは最強選手を揃え、本当に強かったんだから。」
【その後、貴方はドゥカティ機で3年連続総合2位となり…】
「3年連続でホンダのマルク・マルケスに敗れ、総合2位になることが目標だったわけじゃないけど…でも、文句は言えませんよねぇ。素晴らしい3年間でしたよ。」
(参照サイト:『Corse di moto』)
ドヴィのドカでの活躍は素晴らしかった。
この人がドカでも優勝できる事を示したから、ペッコやマルティンが入ってきたのは間違いない。
マルクとの戦いは本当に痺れた。
一度はチャンピオンになってほしかった。その価値がある戦いだった。
DUCATI の組織改革について的確な指摘に感じます。
フェラーリにせよ CAGIVA にせよ、イタリア勢は伝統的に、
優秀な人材はいても組織としてまとまりが無く、内紛から自滅を繰り返してきた。
翻って、今の日本勢の不調も、技術力の問題ではなく、組織のあり方の問題と思えます。
一方で、これは記事に無い私見ですが、
勝つこと(他者を退けること)を目的とする欧州勢に対して、
日本人は、第一に作ることと誰かと競うことが楽しくてやってきた印象。
パンデミックを挟んでGP界隈にはこうしたパラダイムシフトがあったのでは。