『コスタ:92年ドゥーハン骨折でも挿入プレートがずれてしまったが…』
★8月3日午後、マルク・マルケス(ホンダファクトリー)が右上腕骨の再手術を受けた。今週末のブルノGP(8/7〜9)は欠場となる。
★1992年、ミック・ドゥーハン(1994〜98年まで500cc5回連続総合優勝)が右足骨折の際に挿入したプレートがずれてしまった件について、クラウディオ・コスタ医師(モバイルクリニックの元代表)が次のように振り返った。
「1992年のアッセンGPで、ドゥーハンにの右足にはプレートが挿入されたんですが…あれは私の意に反してのことでした。
あのプレートは骨の炎症や、その他諸々の合併症を引き起こす危険があり…結局、その後、体内でずれてネジも壊れてしまったんですよ。
ドゥーハンのキャリアはもう終わりだなどと口々に言われていたが、私はホンダHRCに書面を贈り、『危険かつデリケートな状況ではあるが、またオートバイにきちんと乗れるようになるだろう』と伝えておきました。
そして、93年のミザノ戦ではドゥーハンが優勝し、ケヴィン・シュワンツが2位となり…あの時、右足のプレートはずれていたし、ネジも壊れていたんですから。
彼の件は例外でしょうね。あの状態で走り続けてはいたが、結局、93年のラグーナセカで転倒し、肩甲骨を折った際、そちらの治療の前に一緒にサンフランシスコへ赴き、まずは右足のプレートを取り除いたんですよ。そして、外部から取り付ける保護用固定具を使うことにしてね。94年の序盤レースではまだそれを使っていたが、それでも、ブルノ戦でタイトル獲得を決めてましたよ。」
(参照サイト google 翻訳:『Moto.it』)
(Photo:Twitter)
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2スト時代はみんなしょっちゅうハイサイドで吹っ飛んではプレートとボルトで固定で傷だらけで走ってたよね
ドゥーハンの復帰戦はケガする前のガッチリ体型が嘘みたいにやせ細ってゾンビみたいな青白い顔で痛々しかった…
まあそのドゥーハン、後に記憶と記録に残るチャンピオンライダーになったっわけだ。ハンデをものとせずに。
強権発動とか色々あったけどご愛嬌。
ライダーの意地は古今東西変わらずとも、今の時代はドクターストップかけるべき。結果オーライになるとは限りません。
この人がいなかったらドゥーハンはやぶ病院の手術で右足を切断する羽目になってたかもしれないんですよね~。
そもそも地元でも有名なやぶ病院がダッチTT指定の救急病院になっていたのが不思議ですが。
方向性を誤ればマルクの今後のキャリアに影響が出ますね ついにマルクにも逆境の運命がやってきた