モトGP 『無駄に散った才能あるライダー達』
多くの勝ち星を取り続けたライダーもいれば、偉大な才能にもかかわらず勝利に恵まれなかったライダーもいる。
本来ならば、もっと多くのタイトルを手に入れられたはずのチャンピオン達を集めてみた。
加藤大治郎
2001年、250ccクラスで総合優勝。
同年の1位獲得回数は11回に及び、加藤大治郎にはモトGPクラスでの栄華が待ち受けているかのようだった。
しかし2002年、同クラスでの成績は7位に終わり、表彰台回数は2回(2位のみ)。
2003年、この最高峰クラスで加藤は最強ライダーの一人となるはずだった。しかし鈴鹿戦での事故により、わずか26才で人生の幕を閉じることとなる。
ずば抜けた才能に、気さくで誰からも好かれる人柄。モトGPにおいて、永遠に語り継がれるヒーローの一人になれたはずなのだ。
ドリアーノ・ロンボニ
1968年12月8日、イタリア北西部レーリチの町で生まれる。
90年代初め、125ccおよび250ccクラスで活躍していたのだが、世界選手権での総合優勝は125ccで2回、250ccで4回の計6回のみ。
才能に恵まれ、非常に速いライダーだったが、1993年にホンダを駆ってグランプリ参戦した際にはオーストリア、ドイツ戦で連続1位を獲得しながらもオランダ戦で負傷し、総合優勝のチャンスを逃している。
それ以降、常にトップ選手らに食いつきながらも、能力を出し切れずに終わっているのだ。
表彰台回数はトータルで22回。そのうち500ccクラスでの3位が一回あり、これがアプリリアでの初の表彰台となった。
ローリス・レッジャーニ
1位獲得回数は125ccクラスで3回、250ccクラスで5回。1981年の125ccクラスの総合順位で2位、92年の250ccクラスではルーカ・カダローラを追って2位になっている。
1959年生まれ。少なくとも1度は総合優勝すべきだったライダーの1人であった。事故や、何かしらの選択ミス、揺らぐ確信…これらのせいで、確固たる能力にもかかわらずタイトルを手にすることはなかった。
1992年、アプリリアに乗るレッジャーニの走りは優勝争いに相応しいものだったのだが、表彰台11回では足りなかったのである。
マルコ・メランドリ
1982年8月7日、ラヴェンナの町に生まれる。
メランドリと組んだスタッフらはこう言う。その恵まれた才能は、ヴァレンティーノ・ロッシのそれをも凌駕すると。
しかし、怪我とメンタル面での弱さが獲得できるはずのタイトルを遠ざけ、以下の成績に甘んじさせている。
1位獲得回数は125ccクラス7回、250ccクラス10回、モトGPクラス5回。表彰台回数62回、総合優勝1回のみ(2002年250ccクラス)。
1999年には125ccクラスでのタイトルをめぐってエミリオ・アルツァモーラと競合い、わずか1ポイントの差で敗れている。そして、モトGPクラスでハイクラスの実力を披露したのは2005年のみ、ホンダのサテライトチーム『グレジーニ』を駆っての総合2位である。
13年間走り続けたモトGP界を去り、今季よりスーパーバイク世界選手権に出場するのだが、遂に勝てるライダーとなれるのだろうか?
青木拓磨
ずば抜けた才能を持つ日本人ライダーをもう1人挙げよう。
1998年冬、茂木サーキットでのプライベートテスト中に起きた転倒事故により、車いす生活を余儀なくされた青木拓磨だ。
表彰台回数は500ccのみで4回。そのキャリアは幕を上げぬうちに中断されることとなった。
トロイ・ベイリス
それまでのキャリア、スーパーバイク世界選手権での優勝などから、トロイ・ベイリスは多くを期待されていた。
しかし、3年間のモトGPでドゥカティから2年、ホンダから1年参戦した結果は芳しくなく、ドゥカティ時代は常にチームメイトのカピロッシに遅れを取った。
唯一、活躍したと言えば2006年のヴァレンシア戦で、偶然も少々あったとは言え、同選手の実力を裏付けるべく1位に輝いている。
オートバイレースで最も困難と言われているカテゴリーで、その実力を出し切れなかったのが残念な選手である。
(日本語翻訳:La Chirico / 伊語記事:Moto.it 2011年01月21日)
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ローリス・レッジャーニ選手って
今でこそモトGP解説でお馬鹿なこと言ってますけど
昔は(あっ、いや、今も)立派な方だったんですねぇ…
『ロッシを凌ぐ才能のメランドリ』と言う文章に
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レジアーニ、アプリリア躍進の立役者でしたね。なんて言うと歳がバレますが・・・。
「才能の無駄遣い」という意味ではコシンスキーあたりを思い出します。
カール&マッシミリアーノさん、コメント有難うございます!
コシンスキー…え〜と、シャンパンファイトが嫌いな選手ですね。
オートバイレースを観るようになったのは8年ほど前からなもんですから、1960年代生まれぐらいのレーサーに関してはウィキペディアと、あと記事を訳しながら勉強してるんですよ(こんなブログをやっていて、こんなことを言われるのも興ざめかと思いますが…)。
ローリス・レッジャーニに関しては、伊TV解説をやってる現在のイメージしかなかったもんですから、こんなに立派なライダーだったのか…と、つい必要以上に驚いてしまいました(苦笑)。
レッジャーニ(レジアーニだと日本語ですね)私が見た頃はもうベテランでしたが、キリ、ビアッジとアプリリア同士でトップ争いをしていたのを覚えています。うぁ、もうおよそ20年前・・・。
そういえば私の好きだったビアッジも、タイトル4回(250cc)+1回(WSB)取った割には、才能無駄遣い感があるのはなぜでしょう・・・。
すみません。さすがに元記事のニュアンスから脱線しすぎですね。
二重コメントになるかも知れませんが、もう一度書かせていただきます。
読み直して、さすがに元記事から脱線し過ぎだと反省しました。すみません。
カール&マッシミリアーノさん、脱線大歓迎ですよ〜。
(私は小学時代、授業中の脱線質問が多すぎて、母が父母会で吊るし上げにあってました…)
ビアッジは良く、以前タイトルを取った時から今回まで何でこんなに時間がかかったんだ?って聞かれてますねぇ。
でも、速いだけじゃ駄目そうな世界ですよねぇ…。あっ、スポーツってそう言うものなのかな。
書いてる方いらっしゃいますが、ジョン・コシンスキー推します。自分が一番理想とするライディングフォームでした。
無駄なのかどうなのか。カルロス・ラバートの鬼気迫る走りに、その先はどこに行くんだろうと、はらはらして見てました。
もっとうまくやれば、、チャンピオンに長くいたのかも。
という意味で無駄に散った。。。