2013年ダカールラリー開催中ですが、かつて同レースで活躍したライダー、そしてヤマハ・モーター・フランスの父、ジャン・クロード・オリビエ氏の訃報をお伝えします。
今期、好成績でラリー前半を終了したヤマハチームの、かつてのチームマネージャーを長年に渡り努めたそうです。
『JCOの死去』
★ジャン・クロード・オリビエ氏死去(67才)。1月12日、フランス北部の故郷に住む家族に会いに行くため移動中だった。オリビエ氏の4輪駆動メルセデスは妊娠中の娘アストリッドさん(28才)を乗せ、高速道路A1を走行中だった。Wancourt付近に差しかかった所で、突然、対向車線を走行中のトラックがコントロールを失い、中央分離帯を乗り越え反対車線を塞ぎ停車。そこへオリビエ氏が運転する車が避ける間もなく衝突。救急隊が駆けつけたものの、どうする事も出来なかった。アストリッドさんは負傷したものの重傷ではない。
(日本語翻訳:MOKU / 伊語記事:2013年01月13日 motoit記事より抜粋)
『Mr.ヤマハ、ジャン・クロード・オリビエ死去』
★ジャン・クロード・オリビエ氏はヤマハ・フランスを成功させ、Sonautoの代表としてパトリック・ポンスやクリスチャン・サロンをライダーに起用。
★ヤマハの4気筒プロトタイプを操り数々のパリ・ダカールを経験し、その主役の1人でもあった。1985年にはガストン・ライエに続き2位の成績を収めた。
★業界ではJCOの愛称で良く知られ、1999年ヤマハに起用されたマックス・ビアッジをサポート。また、ル・マン・グランプリには欠かす事の出来ない存在だった。
(日本語翻訳:MOKU / 伊語記事:2013年01月13日 Gpon記事より抜粋)
『情熱家ライダー、ジャン・クロード・オリビエ交通事故死』
★ジャン・クロード・オリビエ氏、フランス北部にて交通事故死。同氏は元ヤマハ・モーター・フランスの社長。
★偉大なる情熱家で、ライダーの模範的存在だった。初めにSonautoを、その後、2010年までヤマハ・モーター・フランスを指揮。JCOの愛称で親しまれ、非常に紳士的で従業員からも敬愛され、ビジネスマンとしても大変有能だった。
★偉大なるライダーとしても様々な種目で活躍。特筆すべきキャリアは1985年のパリ・ダカールで、BMWのガストン・ライエに続きヤマハTénéré 600で準優勝。1976年Touquet、そして2003年のモロッコラリーのFrétignéスペシャルで2位の成績を収めている。
日本語翻訳:MOKU / 伊語記事:2013年01月13日 xoffroad記事より抜粋)
ジャン・クロード・オリビエ氏のご冥福を心よりお祈りいたします。
なんということでしょう・・・
尊敬する人物でありました。
同乗のご家族が無事だったのがせめてもの救いです。
哀悼の意を表し、お悔やみ申し上げます。
22年前…
鈴鹿日本GPの帰りでの偶然の出逢い…
駅のホームでソノートヤマハのブルゾンを着ていた私に、「君がそのブルゾンを着ていてくれた事が僕はうれしい。」と、一人の外人さんが青いポロシャツをバックから取り出して私にくれました。
その後も東京までの新幹線で、通訳の方を交えながらずっとお話をして帰りました。
オリビエさんがフランスモーターサイクル界の英雄だということは、後から調べて知りました。もう一度会って、あの時のお礼を言いたかったのに・・・ご冥福をお祈りいたします。