『チャウス:昔、ロッシのタイヤを間違って履いたら、急に速くなった…』
★ルーベン・チャウス(46才、スペイン出身)は2001年よりドゥカティ機でSBK参戦を始め、2003年に総合2位を獲得した。
モトGPキャリアは2004年にドゥカティ機で、2005年にヤマハ機で参戦している。(総合11位、16位)。
★先日、チャウス元選手が、ホルヘ・ロレンソのポッドキャスト『Duralavita』に出演し、次のように話した。
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【貴方が現役だった頃の話をしてくれる?】
「才能には恵まれたけど…才能がありすぎると、悪い方に行ってしまうこともあるもんでね。
私の場合は、ろくに考えもせずに…時々、天然な行動をしてしまうことがあったねぇ。
例えば、(マシン走行中)限界を見極めるってのができないことがあって…そうやって怖いもの知らずで走ってると、ミスってしまうものだから。
どちらかって言うと私は、ホルヘ・マルティンやマルク・マルケスのタイプなんだろうねぇ…ホルヘ(ロレンソ)なんかは、フランチェスコ・バニャイアやマックス・ビアッジ派でしょ。
操縦タイプが違うんだよね。」
【2005年にドゥカティファクトリー昇格を目指してたそうで…】
「当時のドゥカティには派閥が2つあって…私はタルドッツィ&チャバッティ派閥だったんだよ。
もう1つはプレツィオージ&スッポ派閥で、彼らがスポンサーに『Marlboro』を引っ張ってきてね。
当然、(ファクトリーに)入れるはずだったんだが…とにかく、派閥が2つあるもんだから。結局、ヤマハテック3に移るしかなくって…トニ・エリアスと組んだけど、あの年は大苦戦してしまったよ。」
【当時のヤマハファクトリー選手はロッシだったが…】
「ちょっとした話があってねぇ…
あの年、私は常に14〜15位ぐらいだったんだが、オーストラリアGPが始まったら、突然、トップ4に入ってねぇ…実は、ロッシのタイヤを使ってしまってたんだよ。
ピットボックスに戻った時は、『今日のマシンは、なんて素晴らしいんだ!』って思ったんだけどねぇ。」
(※当時はワンメイクタイヤではなく、各タイヤサプライヤーは選手のランクに合わせて『優先リスト』を作っていた。)
[ 完 ]
(参照サイト:『Gpone』)
(参照サイト:『Corse di moto』)
(Photo:Twitter)
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2005年オーストラリアのリザルトみてみるとチャウスは全セッショントップから一周2.5秒くらい離されてる。FP1はロッシが4位だね。チャウスの記憶違いかな?
DUCATI内に派閥か
イタリアならさもありそうなお話
来季はペッコと現場派閥とマルケスを加入を支持した営業派閥に分かれそうね
ヴァレのスペシャルタイヤはそういう時代だったね
そういえば今年はタイヤの当たり外れを聞かなくなったような
速いライダーに、いいタイヤが廻るのは当たり前の時代も、あった。
GP500の頃はエースライダーがAタイヤ、
セカンドライダーがBタイヤで別モノだった。
確かシュワンツVSレイニーの頃が、そうだったかな。
今更何言ってんの?
このオッさん。
ここまで内容の無いポッドキャストも珍しい。
さすがロレンソのチャンネルだけある。。
スペシャルタイヤが存在した頃の話ってだけだね。