オートバイ世界選手権ことモトGPで、骨折欠場中のヴァレンティーノ・ロッシ選手のライバルとして自他ともに認めるのが、スペイン人若手ライダーのホルヘ・ロレンソ選手であります。
さて、このロレンソ選手、どうやら最近、新たなニックネームも付いたらしいんですよ。
その名も『バター・ハンマー』
その辺は当記事の後編の方で語られているようですが。
それほど長い記事ではないんですが、管理人、ど〜も夏バテ気味のようでして…
とりあえず、2日に分けてゆっくりお楽しみください。
バルセロナ 『バター・ハンマー、別バイクのロッシを負かしてやる』
ヤマハのホスピタリティー・エリアにあるホルヘ・ロレンゾ選手のオフィスにあるのは、皿に盛られたパスタと、アルゼンチン対ドイツ戦を放映しているテレビ、それから、獲得したばかりの今シーズン3つ目のPPと、総合順位2位となっている47ポイント。ただ、ヤマハの主であり、そして世界選手権の王者の方は、あまり調子は良くないと言わねばならないのだが。
「確かに、今はものすごいですね。今だったら、自分ってケタ外れだとか、ロレンツォ・イル・マニーフィコ(偉大なるロレンツォ)とか何とか、言うのは簡単ですけどね…去年、中国やラグーナセーカのレースなんかで転倒してた時は、これほどすごいとは思わなかったですね。」
以前の、絶好調とどん底期の話ですね?
「はい。そう思うんですよ。調子良く勝っている時に、それが絶対的なものだなんて思っちゃいけないし、不調の時に自分のことを“くそ野郎”だなんて思ってもいけないもんなんだって。」
過去2年間で、転倒やらトラブルやらが数度ありましたね。どうやったら、そんな状態から上手く抜け出れるんですか?
「すべて、学ぶための機会なんだって思うことにしてます。去年、まさにここバルセロナで、ヴァレンティーノ・ロッシ選手に最終コーナーで抜かれて負けたんですよ。もちろん、ムカつきましたよ。でも、お陰で頑張ってこれたし、抜かれる事とかラストラップでのレース運びについて、精神的に強くなれました。つまり、レースは最後の一瞬まで何が起きるかわからないんだってことが身にしみたんで、良かったですね。」
ロレンゾ選手が、以前はマックス・ビアッジ選手を手本とし、そして現在はヴァレンティーノ・ロッシ選手を師匠として、自分自身を形作っている言うのが不思議ですよね。
「そうなんですよ。ロッシ選手からは多くを学びました。でも、もちろん才能は必要ですよ。だって、ああ言う選手を真似るなんて、能力がなかったら不可能ですから…。」
アッセン戦での勝利は、ややロッシ選手流のレース運びでした?
「自分にしてもロッシ選手にしても、レースを有終の美で飾る力は一緒だってことですよ。序盤はゆっくり走るってわけじゃなくって。分かるかな。他の選手達がスピードを落とした時に、飛び出して行けるんですよ。」
好不調の話ならば、ヤマハのチームメイトでもあり、最大のライバルでもあるロッシ選手の方に、今回は矛先が向けられたようですが。アッセン戦の時、ロッシ選手がいなくて物足りないのと、そうじゃないのと半々だと言ってましたね。なかなか正直なコメントですが。
「そりゃ、史上最高のライダー相手に勝つ方が嬉しいに決まってますよ。そう言う意味では、ロッシ選手がいなくて物足りなかったけど。でも例えば、ここ2回のレースにロッシ選手が参戦していたら、勝つにはもっと苦労したでしょうね。そう言う意味では、物足りなくはなかったって言わなければ…。」
それでは、モトGPで総合優勝したとしても、ロッシ選手不在では意味は違うと?
「まず、昨シーズンは自分にとってモトGP2年目で、ブリジストンのタイアで走ったのは初めてだったってことは言っておきますが。自分としてはロッシ選手を負かしたかったんですけど、大望を持ち過ぎたって言うのが失敗だったし、まだ自分には何かが足りなかったんですよ。そして、その報いは受けました。今年は違うって思ってますよ。今までより準備ができてる。それに過去ロッシ選手がいた時だって、2回は負かしたんです。ロッシ選手にとっては厳しかったんじゃないですか。まぁ、そんなこと一生分からないでしょうけどね。」
ムジェッロ戦で、ロッシ選手の背番号が入ったTシャツを着てましたよね。世間の意見としては、良かったんじゃないかって言うのと、あんな媚びたことしなくても…と、二つに分かれてるようですね?
「真面目に、ロッシ選手に捧げる気持ちでやったんです。イタリアのサーキットで、ロッシ選手にとってはホームグラウンドで、そのヒーローがケガをしたんだから。最低限のことをしたつもりですが。」
ロッシ選手とは事故後、話をされましたか?
「いえ。電話番号も知らないんですよ。でも、ダヴィデ・ブリヴィデ氏(編集部注:ロッシ選手のチーム・マネージャー)に、病院にお見舞いに行ったらロッシ選手は喜んでくれるかなぁって聞いたら、行かない方が良いだろう、あっちはバタバタしてるからって。それで結局、それ以上は何もできず。
そうとは言っても、イタリア国民はホルヘ選手のことを高く評価してるんですよ。ご本人としては、どうしてだと思われます?
「とにかく、とても嬉しいです。自分達のヒーローにとっての最大のライバルのことを高く評価するって、簡単なことじゃないですからね。多分、他の選手とは違うところが気に入られてるんじゃないかな。僕みたいなのは他にいないから。ロッシ選手とおんなじですよ。それが分かるんじゃないんですか。」
イメージ作りをしていると言われると、腹が立ちますか?
「特に、事実ではないと思いますけど。みんなが見ての通り、自分はこう言う人間だし。例えばね、レースに勝った時の余興だってそうですよ。なるようになってるだけで。別に誰かのことを無理矢理真似てるわけじゃないです。子供の頃から個性的だったし、それを表に出したいだけですよ。いつも思ってたんですけど、僕が自制しなきゃならない理由でもあるんですか?」
史上初のバーチャル・チャンピオンになったような気分だとおしゃってましたね。勝つことを迫られた者の心境を表すには、見事な表現ですが。
「これだけは言っておきますが。世界選手権はもう終わったと言ったら面白くないですよね。幸運なことに、今のところ一度も転倒してないし、しないように祈ってますよ。でも、もし転倒したら、それと同時に、もしぺドローザ選手が勝ったら、今まで引き離した分が消えちゃうわけでね。つまり、すでに12レースをこなしたんならともかく、まだ12レース残ってるってことです。全然、違う話ですからね。」
[ 後編に続く ]
(日本語翻訳:La Chirico / 伊語記事:Corriere della Sera 2010年7月3日)
やっぱりロレンソ選手、ヴァレンティーノ・ロッシ選手の電話番号は知らないんですね。
そして、そのロッシ選手のブルノ最新映像なんぞも見つけましたんで、ご一緒にどうぞ。
http://www.youtube.com/watch?v=wUc_d5sDgPs
上記映像はこちらの記事から視聴できます。
実はサヴィアーノ記事を訳しかけたんですが、
暑さで集中できず…
夏はモトGP、冬にマフィア関連…ってのが良いのかなぁ
とりあえず、夏バテ回復クリックPrego
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ボンジョルノ。日本は梅雨の長大雨で例年ほど暑くはないですが、そちらは暑そうですね。根詰めずぼちぼち更新して下さいね。鈴鹿ではそろそろ耐久ウイーク。よくこんな中ツナギ着てサーキット走ってたなと毎年思いますf^_^;昔みたいに日本国内でもGP盛り上がらないかな〜
ボンジョルノ。日本は梅雨の長大雨で例年ほど暑くはないですが、そちらは暑そうですね。根詰めずぼちぼち更新して下さいね。鈴鹿ではそろそろ耐久ウイーク。よくこんな中ツナギ着てサーキット走ってたなと毎年思いますf^_^;昔みたいに日本国内でもGP盛り上がらないかな〜
ボンジョルノ、とらんさん。
アフリカからの風が、もう暑くって。
気を使ってもらって、ありがとうございます〜。
日本でもGPが盛り上がったことがあるんですね!!
私はこちらで、ロッシ選手がヤマハに移籍する辺りから見始めたもんですから、イタリア人に「加藤大治郎はすごかった」とか言われる度に、「チッ」って思ってるんです。
ボンジョルノ、とらんさん。
アフリカからの風が、もう暑くって。
気を使ってもらって、ありがとうございます〜。
日本でもGPが盛り上がったことがあるんですね!!
私はこちらで、ロッシ選手がヤマハに移籍する辺りから見始めたもんですから、イタリア人に「加藤大治郎はすごかった」とか言われる度に、「チッ」って思ってるんです。
アフリカから南風が来るんですね〜イメージでも暑そう(笑)
20年ほど前は鈴鹿GPも人でいっぱいでした。テレビも民放がしてましたし。大ちゃん世代のアプリリアに乗った原田哲也は中田と一緒ぐらい有名な日本人だとテレビでやってました。
アフリカから南風が来るんですね〜イメージでも暑そう(笑)
20年ほど前は鈴鹿GPも人でいっぱいでした。テレビも民放がしてましたし。大ちゃん世代のアプリリアに乗った原田哲也は中田と一緒ぐらい有名な日本人だとテレビでやってました。
とらんさん、今日も朝から暑いです〜。
原田哲也…あら、恥ずかしい。全然知りませんでした。ウィキペディアで調べてみたら、本当にイタリアで有名だったみたいですね。
私が見始めた頃は、かろうじて芳賀選手がCMをやってました。
とらんさん、今日も朝から暑いです〜。
原田哲也…あら、恥ずかしい。全然知りませんでした。ウィキペディアで調べてみたら、本当にイタリアで有名だったみたいですね。
私が見始めた頃は、かろうじて芳賀選手がCMをやってました。