モトGP『なぜなぜラグーナセーカGP』
なぜケーシー・ストーナーはレース中に、あんなにパフォーマンスを上げることができたのか?
予選ではコーナーの出入り口での操縦が上手く行かず苦労していたが、ウォームアップで重要なモディファイを加えることができたのだ。それは後輪をより手前に持ってくる…言い換えれば、スイングアームを短くしたと言うわけ。これにより重量が後方にかかり、その結果、トラクションが最大限になったのだ。
なぜホルヘ・ロレンソはケーシー・ストーナーにパスされた後、わずか1ラップで0.00789秒も落とし、その次のラップでは1”5以上も減速してしまったのか?
ロレンソ選手は後続車を引き離せるものと確信し、攻撃的なレース展開を見せていた。しかし、ペドロサ選手をすっかり『バテさせた』後、再浮上してきたストーナー選手を何とかしなければならなくなったのだが、ストーナー選手があんなに速いとは思ってもいなかったのだ。
第27ラップの初っぱな、ストーナー選手に拍手喝采もののオーバーテイクで抜かれた際、ロレンソ選手は己が力尽きたことを悟る。タイヤに、そして、テスト中のひどい転倒でボロボロになった肉体に鞭打っても、もはや無理なのだと…。もはや、ストーナー選手のリズムに合わせてゆく力もなく、結局、ロレンソ選手はペドロサ選手との間にある大差を保つことだけを考えたのだった。
なぜランディ・ド・プニエはラグーナセーカ戦を欠場したのか?
ド・プニエ選手が予選中に転倒し、右骨盤および背中のL3・L4骨2本を骨折した。そのため、ホワイトフラッグが掲げられるまでの事態となったのだ。8月14日にチェコで開催されるブルノGPには出場が考えられている。
なぜニッキー・ヘイデンは金曜日に新マシンをテストしながら、決勝レースではドゥカティ旧マシンのGP11機に乗ることにしたのか?
ヘイデン選手は新旧マシン2台の間に大きな差はないと考え、本人もチームも熟知しているGP11機に乗ることにしたのだ。ホームレースとなるラグーナセーカでは可能な限り最高のリザルトを獲得したいが故、新マシンの実験に時間を割いているわけにはいかなかったのである。
なぜラグーナセーカ戦ではモトGPクラスのみのレースしか行なわれないのか?
2005年にラグーナセーカ・サーキットでロードレース世界選手権を再開した際、主催者サイドより申し出があったのだ。この地域ではAMA(アメリカスーパーバイク選手権)が非常に盛んなため、ドルナ社が小排気量クラスのレースを取りやめ、両選手権の同時開催を承諾したのである。
なぜ2010年に比べ予選・決勝レースとも、全体的なタイムは1”5速くなっているのにラップタイムの方は落ちているのか?
この質問に関しては選手はじめ誰も答えを出せずにいるのだが、明らかにコースのコンディションが悪かったこともあるのだろう。
なぜベン・ボストロムはトニ・エリアスのセカンドマシンに乗って、ラグーナセーカ戦に出場したのか?
ルーチョ・チェッキネッロチームマネージャーの決断だったのだが、スポンサーを満足させるためと、おそらくトニ・エリアスの気付け薬になると考えたのだろう。
(日本語翻訳:La Chirico / 伊語記事 Moto.it 2011年07月26日)
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今回、管理人は体調不調だったせいかアっという間に終わった印象だったんですが、
なんか、本当にたいしたエピソードもなくサラッと終わってしまった感じですね…