MotoGP

ロッシ語り尽す(前半)『ペドロサには、よく痛い目にあわされた…』

『ロッシ:ペドロサには、よく痛い目にあわされた…』

★9月初めにヴァレンティーノ・ロッシ(45才、二輪レース最高峰7回タイトル獲得)が、愛弟子アンドレア・ミーニョ(28才)のポッドキャスト『MIG babol』で約1時間のインタビューを受けた。

★9月5日に公開されたインタビュー前半は以下のとおり。なお、11日に後半が公開される予定である。

[ 前編はこちら ]

【ロードレース世界選手権にデビューするまでは、どんな感じだったの?】
「カートやってミニモトやって、またカートやってミニモトやって、結局、ミニモトのみにして…
1992年(※ロッシ13才)にミザノで『Cagiva Mito』に乗ってみたんだけど、その時、『これを一生の仕事にしたい』って思ったね…つまり、こうしてサーキットでオートバイを走らせたいってね。
トラックに降りると別次元って感じで、自分はプッシュできるんだって実感し…峠の道で、スクーターレースをやるのとはワケが違うだよね。
まぁ、峠のレースでも学ぶことは多かったけど…あれは、僕らの『TTレース』だったから。今どきのランチ休憩はそんなことしないで、パデルとかやるんだろうけどね。
当初、まだミニモトレースに出てた頃、マウロ・サンキーニ(元SBK選手、現在は『SKY』解説者)も一緒で…実は、彼もゼッケン『46』だったんだけど、ちょっと揉めて…結局、僕が奪ってしまってね。
当時、リミニの『パガーノ二輪修理サービス』のマルコやマウリツィオとかなり親しくしていて…よく一緒にレースに行ってたんだけど、あの2人が日本人選手の大ファンで、けっこう影響を受けたんだよ。
ある時、一緒に鈴鹿のレースを観ていたら、ゼッケン『46』でワイルドカード参戦してた選手がべらぼうに強くって…あの瞬間、自分のゼッケンも『46』にしようって決めたんだよね。」

【そして、1996年に125ccクラスにデビューし…(※ロッシ17才)】
「世界選手権デビューがゴールとは思ってなかったけど、でも、夢ではあったよね。
最初から強い走りができ…ヘレスでの初テストでは9位だったし、開幕戦のマレーシアでは6位だったから。まぁ、その辺りから、ちょっとイッちゃうようになったとでも言うか…(全員爆笑)。
なんて言いうか…『よし、行くぞ!あとは楽勝だ!』って思うようになってね。ただ、その年の最中、それが正しい姿勢ではなってことに気づいて…ミスが出始め、ケガをしてしまったもんだから。
結局、1勝して総合9位になって…それで、考え方を変えなきゃって思ったんだよ。とは言え、2000年に500ccクラスにデビューし、初優勝した時も、『クッソー、イケるじゃないか!』なんて思ったけどね(笑)。
あの年、タイトルを取れなかったのは、『自分には取れるんだ』って信じてなかったからなんだ。
序盤3戦でケニー・ロバーツ・ジュニアが60ポイント取ってたのに、こっちはたったの2ポイントで…結局、彼と30ポイント差で総合2位になったってわけ。
つまり、シーズン序盤でタイトル争いを捨ててしまったんだよ。
開幕戦ではファーステストラップを出したのに転倒してしまい、2戦目は優勝争いに加わってたのに転倒…3戦目の鈴鹿は、まったく調子が出なくって(※11位)。
『最初っから勝ってやるぞ!』って姿勢でいたら、もしかしたらタイトルを取れてたのかもねぇ。
500cc機は乗った瞬間から上手く走れてねぇ…ちょうどモトクロスの強豪選手が、250ccから450ccに乗り換えた時みたいな感じで…つまり、速攻で強い走りをしつつ、大粒の石を飛び散らかすとでも言うか…。」

【その前の250cc時代は、どんな感じだったの?】
「(250ccクラスに昇格した1998年は)ラスト4戦で連勝し…最終戦ではハラダが転倒して、カピロッシが失格になってね。あの年はほんの僅差で総合2位になってしまって…。
1997〜2006年までの総合順位は、常に首位か2位で…2007年なんか総合3位になって、かなりがっかりしてねぇ…最終的なランキング表を見て、知ったんだけど。
ヴァレンシア戦で転倒し、片手を骨折してしまって…その時、ペドロサを24ポイント引き離して総合2位だったんだよね。とにかく、総合首位は既にストーナーに決まってたから。
そうしたら、あのダニのコンチクショーが最終戦で優勝してしまって…1ポイント差でやられてしまったんだよ。
ダニには、よく痛い目にあわされたよ…他の選手にはそうでもないのに、僕相手の時はいつもプラスアルファの底力を出してくるんだよねぇ。
とにかく、2009年までは全てが順調に行ってて…まぁ、その後も良かったけどね。」

[ 後編に続く ]

(参照サイト:『Mowmag.com』)

POSTED COMMENT

  1. きゃめる より:

    現役を降りれば皆いい戦友だ。
    安心して見られてたのは、この世代ぐらいまでかな。ギリギリで引いたり、接触しても過度な事故までにならないのは。五体満足で引退出来るからこそいい思い出になる。

  2. よっすい より:

    46番はクラツィアーノ親父のゼッケンを受け継いだと聞いてきましたか、実はそういう話だったんですかぃ?

  3. ガガガ より:

    ゼッケン46の日本人のスポット参戦って誰でしたっけ?

  4. クアルタラ郎 より:

    日本人のスポット参戦に感動と言えばノリックの話だと思ったんだけどノリックのミスター飲茶号はゼッケン56だよね。まさか勘違い?

    あのノリックの激走でロッシがファンになっ「ろっしふみ」ってニックネームを自分につけていたのは間違いないけど。

  5. らうだ より:

    1988年のSEEDホンダの伊藤真一が46ですね

  6. ガガガ より:

    SEEDホンダ懐かしい!
    確か、国際A級に昇格して全日本の鈴鹿2&4の次でいきなり日本GPの500でしたよね。
    今思えばめちゃくちゃすごいですね。今じゃありえません。
    私はまだ高1でした。WGPチャンピオン憧れてたなぁ‥‥。

  7. BlueXP より:

    ヴァレンティーノ・ロッシの父グラツィアーノ氏が、最近、伊TVでゼッケン『46』について次のように話していた。
    https://note.com/lachirico/n/n7a3d88c65998

  8. ガガガ より:

    BlueXPさん
    最後尾からスタートした日本人ライダーが優勝‥‥そんなことってありましたっけ?余計分からなくなってきました^^;

  9. BlueXP より:

    ※ロッシ親子のコメントを結合すると伊藤真一元選手が由来になるのではないでしょうか?
     https://note.com/lachirico/n/n7a3d88c65998
     下まで読めばキリコさんの以下のコメントがあります。

    (※おそらく伊藤真一元選手を指しているのだと思います。ただ、最高峰の500ccクラスでは2位2回、3位4回で優勝はしてません。上記写真は鈴鹿で500ccにワイルドカードデビューした時のものです。)

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