『ロッシ:ホンダの初テストで大失態…』
★9月初めにヴァレンティーノ・ロッシ(45才、二輪レース最高峰7回タイトル獲得)が、愛弟子アンドレア・ミーニョ(28才)のポッドキャスト『MIG babol』で約1時間のインタビューを受けた。
★9月5日に公開されたインタビュー前半は以下のとおり。なお、11日に後半が公開される予定である。
[ 中編はこちら ]
【最高峰クラスへは2000年にホンダ機で昇格したけど、当時はまだモトGPクラスではなく500ccクラスだったが…】
「1999年の終わり頃、アルド・ドゥルディ(※専属デザイナー)に作ってもらったホンダ用ライダースーツを2着持って、ヘレスサーキットに行ったんだよ…超カッコ良いスーツでねぇ。
ところが、当時の僕のマネージャーがアプリリア側と、『1999年12月31日まではアプリリア用マテリアルを使用する』って約束をしてしまってたんだ。
こっちはホンダ用スーツしか持ってきてなくて、アプリリア用のは家に置いてきてしまったから…それで、当時、アプリリア選手だったマルチェリーノ・ルッキの所へ行って、彼のスーツを貸してもらったんだよ。
あと、タヴッリャの友達のフィリッポ・パラッツィに電話して、『飛行機の手配をするから、アプリリア用スーツを持って来てくれ』って頼んでね。
ただ、もう1つ物凄いことをやらかしてしまっていて…家を出る時、ヘルメットが入ったカバンじゃなく、バイザーが入った方のカバンを持って来てしまったんだよ。
それで、ヘレスに着いてカバンを開けたら、バイザーが8枚出てきて…ヘルメットはなしだったわけ。あれはパニックだったねぇ…既にライダースーツがないって言うのに、ヘルメットまでないんだから。
その時、僕の他にウッチョと当時のマネージャーのジボ(バディオーリ)がいたんで…とっさに、『あぁぁぁ〜空港でヘルメットを盗まれてしまった…カバンを開けられ、バイザーだけ残してヘルメットは持っていかれてしまったんだ』なんて言っちゃってね。」
【じゃあ、テストの方は…?】
「初日は(アプリリアの)マルチェリーノ・ルッキのライダースーツを来て、ホンダの『NSR 500』機に乗ったんだよ…ヘルメットは、カワサキからSBK参戦していたグレゴリオ・ラヴィッラが、『AGV』のヘルメットを持ってたから貸してもらって。ラヴィッラの所へ行って、『ヘルメットを盗まれてしまったんだ…君のを貸してくれる?』って頼んでねぇ。
僕自身は、ヘルメットは(盗まれたのではなく)忘れてきたんだって分かってたわけだから…その後、ウッチョには打ち明けたよ…『まぁ、なんっちゅうか…あれ、僕が忘れたんだよね』って。そうしたら、『お前、本当にイカれてんなぁ』って言ってたよ。とにかく、(マネージャーの)ジボには知られたくなかったんだよねぇ…ボコボコにされただろうから。」
【では、『NSR 500』機に乗った第一印象は?】
「そうしたバタバタはともかくとして、初めて500cc機に乗った印象はね…あれは、生涯忘れられない瞬間だったよ。
アクセルを開けると、成層圏にまでふっ飛ばされるような感じなんだから。あと、トラックもギュッと小さくなったような…狭くなったような感じだったね。素晴らしかった…まぁ、その後、スピード自体には慣れてしまったけど。
その後、フィリップアイランドでのテストがあって…またまた速かったんだよ。トップクラスもんでね…でも、『Siberia』コーナーで、500ccの本格的な洗礼を受けてしまってね。
右から差しかかり、加速して止め、左へ進むんだけど…強く進入しすぎたら、入り口の所でリアが滑ってしまったんだ。今だったら、ちょうどショックアブソーバーが圧縮したみたいな感じとでも言うか…。
とにかく、天に向かってふっ飛ばされて…こっちは『1、2、3…』ってカウントしながら、ドッカーンてね!
まぁ、その後は大丈夫だったけど。」
[ 完結編に続く ]
(参照サイト:『Mowmag.com』)
(Photo:Twitter)
ルッキ!、
ムジェロ・マイスターとはこれまた懐かしい
名前が出てきましたねぇ。
バレンティーノが活躍してた頃は
GP全体にどこか笑える要素が毎回あって
楽しかったなぁ~。
ロッシですらNSR500はそんな感触だったんだな。
もう2スト500を見る事は無いんだろうけど、ロッシもかなり
ハイサイドやスリップダウンで1年目は転倒していたイメージ
があるな。2年目は安定してタイトル取った記憶だけどね。