『レイニー:ヤマハは魔法のようにマシンを改善してくれた』
★2020年7月1日、ヤマハ発動機が創業65周年を迎えた。
★ヴァレンティーノ・ロッシ(ヤマハファクトリー)が、下記の祝辞メッセージを送った。
Happy 65th birthday, Yamaha Motor Co., Ltd.! 🥳🎂
We’ll soon be able to enjoy Yamaha’s expertise in motorsports again, when the 2020 MotoGP season starts. In the meantime, we have a video message from @ValeYellow46 to mark this special occasion 🗣️ 📹#YamahaDay | #MonsterYamaha pic.twitter.com/Ialk7iDFBd
— Monster Energy Yamaha MotoGP (@YamahaMotoGP) July 1, 2020
★ウェイン・レイニー(1990〜92年、ヤマハ機で500ccタイトル獲得)が、下記の祝辞コメントを送った。
「70年代にヤマハ機でレースに出るようになり、1984年、ヤマハのTZ250機で世界選手権デビューをしたんですよ。その後、引退するまでずっとヤマハでした。
レース優勝もタイトルもたくさん取ったが、一番の思い出はレースで何度か不調だった時のことですね。予選がイマイチで2列〜3列目になったりしたことがあったんですよ。
日曜日にはマシンの隅から隅まで手を入れてみるのだが、上手く改善できないこともあったんです。
その後、サクラマとナカジマと言う日本人の技術スタッフがやって来て、分解したマシンを眺め回しては何かしら手を加え、去って行ったんですよ。私は『上手く行ったんだな』って思ってね。
スタートグリッドに付いた時、このマシンでなら常に表彰台に上がれるぞって思いました。
20勝以上をあげ…ヤマハにはずっと寄り添ってもらいましたよ。常に適切なセッティングを見つけ出す手助けをしてくれてね。
今後も私の気持ちはずっとヤマハと共にあるでしょう。引退するまでずっと…あの事故の後も、ずっと良くしてもらいました。『MotoAmerica』でも活躍してますしね。
65周年記念に、心からの祝辞を送ります。」
(参照サイト google 翻訳:『Gpone』)
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>1984年、ヤマハのTZ250機で世界選手権デビューをしたんですよ。その後、引退するまでずっとヤマハでした。
1986年に、AMAでHONDA VFR750インターセプターでチャンピオン取ったことは無かったことになったの?
確かホンダで走るのもありかもみたいな話をケニーにしたら
「マジかよ」って一蹴されたって記事を見たことがあるが…
AMAでチャンピオン獲得したからWGPへ行かせてくれとホンダに頼んでも
すげなく断られたからホンダに対する良い思いが無いんじゃないかな。
ヤマハがマトモにフレーム作ってくれなくて
ROCのフレームで戦ってたこともなかった事になってるのかな
ヤマハのフレームの迷走もレイニーがシュワンツとのコーナーの突っ込み合戦で
勝てるシャシーを熱烈にリクエストした結果ですし…
テストライダーの本間氏は方向性の違いを訴えて首になりましたね