『エスパルガロ:昔、スズキのオファーを断ってしまった…』
★ポル・エスパルガロは2014年にヤマハ・テック3からモトGPデビューし、2016年まで同チームからの参戦を継続した。
2017年にKTMファクトリーに移籍し、ゼロからマシン開発に加わりつつ、2020年には好リザルトを獲得し、2021年にホンダファクトリーに移籍した。
★エスパルガロ選手が、最近、『Last On The Brakes』のインタビューで、次のように話した。
【2014年にヤマハ機でモトGPデビューした際、トップ10内を14回獲得し(※ベストリザルトは4位)、総合6位となっていたが…】
「スズキがモトGPに復帰するってことで、あの年、僕のところにオファーが来て…話し合いの場を設けたんですよ。」
(※スズキは2014年にランディ・ド・プニエらとモトGPテストを繰り返し、2015年に同クラスに復帰した。)
【しかし、結局、貴方はヤマハ残留を選び…当時、ヤマハと直接契約をしていたそうで…】
「ヤマハ側と、いくつか約束してもらっていたことがあって…まぁ、皆さんのお察しの通り、当時のヤマハ内ではヴァレンティーノ・ロッシ離脱が取り沙汰されてたんですよ。
僕はルーキー年に上位リザルトが取れたんで、ちょっと期待できるかなぁ〜って思ったんです…ファクトリーチャンス昇格のチャンスがあるんじゃないかって。
ところが、2年目の成績がイマイチでねぇ(※総合9位、ベストリザルト5位)。」
【スズキのオファーを断ったものの、その後、KTMからオファーが来て…】
「スズキ機が物凄い速い走りをして、驚異的なリザルトを出してたものだから、『断ったのは間違いだった…』って思いました。チャンスが舞い込んできたら、乗ってみるべきなんですよねぇ。」
【そして、2020年にはKTM機で5回表彰台(※3位を5回)を獲得したものの、結局、ホンダ移籍を決め…】
「けっこう葛藤しましたよ。でも、良い選択でしたね。おかげで、ライダーとしても成長できたと思ってます。
スポーツ選手としてだけではなく、プライベートにおいて、一人の人として大きくなれました。」
(参照サイト:『Tuttomotoriweb』)
(Photo:Instagram)
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傾向としてヤマハに近い操縦性(と思われる)スズキよりKTMからホンダで良かったんじゃ無いでしょうか。