『クラッチロー:抜けそうなら、お伺いなんか立てない
★8月21日(日)、ブルノGP決勝戦でカル・クラッチロー(ホンダLCR、30才)が優勝した。
最高峰クラスでイギリス人ライダーが優勝するのは、1981年のバーリー・シーン以来久しぶりのこと。
★シーン選手が亡くなったのは2003年。その頃、クラッチロー選手はレース参戦を始めたばかり。
★シーン選手はグラマー美人好きで、F1のジェームス・ハントのようなタイプだった。
500ccクラスでタイトルを2回獲得。ぼさぼさの金髪ロンゲで、表彰台にはくわえタバコで上がった。サーキットへはロールスロイスで乗りつけ、傍らにはとびっきりの美女が寄り添っていた。
例えば、『Penthouse』の元モデルだったステファニー・マクレーンは、当時、ストップウォッチとシルクのスカーフを手に携え、2輪レース界のアイコンになっていた。
★クラッチロー選手はクレイジーなだけである。
SBK時代、よくプレスカンファレンスにはビーサンに短パン姿で、ビール片手に現れ、これが当然といった風情でいた。飾り気のない、荒っぽいSBK業界にはうってつけのキャラだった。
★クラッチロー選手は2009年、スーパースポーツ世界選手権にヤマハ機でフル参戦デビューをし、13戦5勝を記録した。マシンもけっこう壊したが、数多くのラップ記録も打ち立て、しばらく更新されることはなかった。
2009年にベン・スピーズがヤマハ機でSBKタイトルを獲得し、翌2010年、クラッチロー選手はその後任としてSBKに昇格した。シーズ序盤は散々だったが、シルヴァーストーン戦でダブル優勝を果たし、結局、同年は3勝を収めた。
あのままSBKに残れば、第二のトロイ・ベイリスになっていただろう。
★モトGPの冷え冷えとした雰囲気の中では、クラッチロー選手のような風貌、経歴、そして歯に衣着せぬ性質は希少かつ貴重である。
またリザルトでも、今回の優勝以前にも2012〜13年にはヤマハのプライベート機で3位を獲得している。2014年の早すぎるドゥカティ移籍は残念だった。当時、ジジ・ダッリーニャの改革はまだ実を結んではいなかった。
★クラッチロー選手が今年1月、フィリップアイランドテストの際、次のように話していた。
「今でもSBKレースは観てます。もし、あっちに戻ったら確実にタイトルは取れるでしょう。1回と言わず、何回かね。ヒーローになれてたでしょうね。」
【なぜ戻らない?】
「モトGPの方が金の動きが大きいんで。契約金だけじゃなく、それ以外でもね。BSB(ブリティッシュ・スーパーバイク)本拠地のドニントン決勝レースより、シルヴァーストーンGPの木曜サイン会の方が人が多いっすから。それに…信じて欲しいんすけど…俺はまだモトGPで勝てるから…。抜けそうなら、俺はお伺いなんか立てないんでね。」
(2016年08月22日『Corsedimoto.com』記事参照)
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飾りっ気が無い最高のキャラクターですよね!
サイン会の方が人が多い(笑)
カルさんだからユーモアになってる。
日本メーカーのワークス乗ってればもう少し勝てたのかな?それともスピーズみたいに満身創痍になったかな?
一発の速さと常に転倒がつきまとうスタイル。古き良き時代のライダーの匂いがします。
また鈴鹿8耐を走って欲しい