モトGP『勝ちたいならホンダで続ける意味なし』
[ 前編はこちら ]
ロッシ、シモンチェッリ、そして、ストーナー…
全体的に見て、2011年はどのレースが自己ベストでしたか?
「ムジェッロですね。あそこで良いパフォーマンスができるって言うのは、イタリア人にとっては重要なことですから。特別なレースでしたね。最終コーナーではケーシーを抜き、ロレンソ選手とも0.9秒差で、ホンダ陣では1番でゴールできたんですからね。特に、個人的に素晴らしい結果でした。ムジェッロに来る観客はヴァレンティーノを観に来るわけですから。あの日、観客数はどれぐらいだったと思います?8万人だったとしたら、その8万人は自分を観に来てるわけじゃない。でも、表彰台に上がったなら、全員が“ドヴィ!”って叫んでくれる。信じられないことですよ!最高でしたね。」
ロッシ選手の名前が出たので伺いますが、今年…正確にはムジェッロ戦で2位になられてから強く訴えられてましたよね…“総合ランクではイタリア人トップなのに、イタリアの報道では常にロッシ選手やシモンチェッリ選手の陰に隠れて二番手扱いされる”と…。
「それはイタリアに限らず、世界中どこも同じことで。彼らの方が注目されてましたよね。仕方がないです。記者の皆さんは個性的な選手を…喋れる選手を求めてるんでね。たいした事は言ってないのに笑いを取れる選手とかね。そう言うタイプじゃないと関心は持たれない。コース上でもそうですよね。ライディングスタイルなんかもね。僕は非常にソフトだし、派手な動きもないから。リザルトへの関心はもっと低いんですよ。全てを総合すると、僕の話題なんかはそう多くはならないわけで。ただ、最後に物を言うのはリザルトですからね。」
少々、自己批判的なんじゃないですか。何が不足していると?タイトル争いするには、ドヴィツィオーゾ選手は何か一つ足りない…なんて言われ方もしてますが。
「大した事じゃないんですよ。スピードがちょっととか…現在のレベルは非常に高いですからね。レース運びだとか、準備だとか、そんな事なんです。僕としては、なかなか準備万端な状態だと思ってますが。」
今年のストーナー選手は驚異的でしたが、元チームメイトとしてはどう見ますか?
「才能の程度と言う意味では他の選手と変わらないんですが、スピード面で見ると無双ですね。だからこそ勝っていたんであって、それ以外に理由はないです。実際のところ、敵なんかいなかったじゃないですか。プレッシャーが少なかったってところじゃないかな。僕が見るにはね、1ポイントも落とせない状態じゃないってことで…今年はストーナー選手にプレッシャーなんてほとんどなかったじゃないですか。強味はスピードですよね。」
2012年にホンダ・サテライトチーム入りするかも…なんて話が出る前、ドゥカティ入りも話題にされてましたよね。2年間、ワークスで走れる云々。まったく考えてもみなかったのですか?
「まぁ、今後、考えてみます。ただ、来年はドゥカティに移るようなタイミングだとは思ってません。ヴァレンティーノがいますからね。それにマシンだって、今のところ勝てる状態ではないし。」
勝てるマシンと言われましたが、現在、世界選手権はCRTへと方向転換していますね。ヴァレンシア・テストではコース上で同マシンと初遭遇されてましたが、どんな感じでしょうか?
「僕としては、オートバイ世界選手権と言うものがどう言う風になってもらいたいのかに全てがかかってると思います。CRTになるなら、できるだけ早く導入した方が…。でなければ、3年間も一緒に走り続けることになるわけでしょう。それは酷いでしょうね。
こう言う差がある中でレースをするのは良い事ではないですよね。モトGPマシンがCRTになってしまうのもね。だって、モトGPマシンって言うのはテクノロジーの粋を極めたものであって、CRTはそうじゃない。ただ、見せ場が欲しいのならCRTは必要でしょ。電系システムも同じ…だったら、手に入れられるわけだし。最良とは言いませんが…繰返しになりますが、何をしたいか、世界選手権はどうあるべきと考えるかによると思います。」
同じコース上で一緒に走るのは危険だろうと言う声も上がってますが…。
「いえ、そうは思いませんね。危険と言うよりは邪魔になるだろうってことであって、危険な存在にはなりませんよ。」
話はがらりと変わりますが、マレーシア戦でのマルコ・シモンチェッリ選手の事故はドヴィツィオーゾ選手に深い意味を残したのではないですか?幼い時から、自他ともに認める宿敵同士だったとは言え…。
「マルコの死は僕にとって大打撃でした。僕らはずっとライバル同士であり友人ではなかったけど、結局のところ、僕ら2人とも悪人でも愚か者でもないですから。たとえ常にライバル意識があって、ウマが合った事は一度もなかったとしても、互いに敬意は払ってました。心の底からね。コースでは品行方正だけど、そこから出たら大馬鹿者なんてのに敬意は払いませんよ。だからこそ、ぽっかりと開いた穴が大きくて。プロレベルでの空虚さです。一緒にレースをしてきたんですから。彼の方が1才下なんですが、でも、ほとんど全ての大会で一緒になってました。上達の仕方が僕とは違って、とても本能的でね。だからこそ、非常に速いか転倒するかのどちらかだったんであって。反対に僕は安定していて、激情タイプじゃない。だから、彼の前を走れてたんです。僕はあまりミスもなかったしね。それで僕は安定して上達していけた。各クラスで一緒になってきましたが、彼が絶好調の時はやっかいでしたよ。その…コース上で強かった時って意味です。絶対に降参しないんですから。そして最高峰クラスでも一緒になって、しかも最高のレベルで表彰台を争っていた。僕らは戦い合いながらモトGPクラスへも上がってこれたんです。だから、空虚さがあまりに大きくて。」
オーストラリア戦での最後の競合いは素晴らしかったですね。
「まぁ、僕としては、総体的に見て、別の目的があったし、彼は表彰台を獲得することだけを…できるだけ前に出ることだけを考えてましたしね。でも、そうですねぇ…素晴らしいレースだった…ダニのことを越せたんですからね。」
[ 完 ]
(日本語翻訳:La Chirico / 西語記事: Solomoto 2011年12月19日)
|
さてさて…新年早々、とんだ災難に見舞われてしまったドヴィツィオーゾ選手の2012年はいかに!?