今から10年以上前、若きケーシー・ストーナーがライダーとしての経験を積もうと、オーストラリアからイギリスへと渡ったのは有名な話で、ウィキペディア伊語版によれば、こんな感じであります。
《幼少時代にオーストラリアでダートトラックレースを始め、41タイトルを獲得(2・4ストローク、50・125cc)したストーナー選手は、2000年にヨーロッパへ渡りスペインの『challenge Aprilia 125』に参戦し3勝を挙げ総合2位。
翌2001年、イギリス選手権に参戦し7勝で総合2位についている。同年には世界選手権125ccクラスに2回ワイルドカード参戦し、イギリス戦で17位、オーストラリア戦で12位。計4ポイント獲得で総合29位の成績により、ルーチョ・チェッキネッロチームと初契約を結ぶに至った。》
さて、そのイギリス時代について、最近のインタビューでストーナー本人がこんな風に語っておりました。
『チャンピオンの怒り:ケーシー・ストーナーインタビュー』
☆「友達もたくさんできて、良く一緒に過ごしてました。イギリスでの生活は僕にとって最後の文明的な生活でした。行きたい時に行きたい所に行けて、お店では誰とでも話ができて…みんな、英語を話していましたし。」
☆「イギリスは自分の家みたいな感じでしたが、イギリスのファンは僕が勝つのを観るのは嬉しくなかったようです。ただ、負ければ良いのにって思われてる時に勝つのって、もっと気持ち良いもんなんです。」
☆「僕が今みたいになるにあたりイギリスはもの凄く支援してくれた国なのに、未だに僕を嫌い続けている…どうしてなのか全く分かりません。」
[日本語翻訳:La Chirico / 西語記事:MOTOCICLISMO 2012年08月01日記事より抜粋]
う〜〜〜ん…観ている者を熱くさせない走りっぷりとか、勝ちっぷりが気に入らないんでしょうかねぇ。確かに私も、一人旅走行を始められるとちょっと退屈してしまうんですが…
イタリアの場合は、強い選手は全員、ヴァレンティーノ・ロッシの敵役にされてしまうから比較にならないんですが…
だいたい、あの絶大な人気を誇っていたイタリア人ライダー、マックス・ビアッジだって、ロッシ選手が台頭してきたらヒール扱いされてましたしね…
イタリアでのロッシ選手の凄さって言うのは、それまでオートバイになんの関心もなかった50代以上の普通のご婦人でさえ、
「あら、ロッシが走ってるの?それじゃ、ちょっと…」て、家事の手を休めてTVの前に立ち止まるってところらしいですが…
おっと、話がずれちまった…
で、その、ストーナーの楽しかったイギリス時代なんですが…衣食住的にはかなり厳しい生活だったようで、イギリス人で元ライダーで1996年よりAprilia Superteen杯を主催しているイアン・ニュートンがこんなエピソードを披露しておりますんで要約しますと…。
『イアン・ニュートン:ストーナー一家は流浪の民、尿瓶さえない生活』
☆「ケーシーの両親からの連絡を受けたのは1999〜2000年の冬。古いSherpaに…正真正銘の『クソ車』にマシンを積んでジプシー生活をしてたんですが、小便する容器さえなく…定住先はないって言うから、うちの庭に車を止めさせてやりました。」
☆「時々、父親が車中で羽を伸ばせるよう、ケーシーだけ、うちに泊まりに来てました。それ以外の時は朝7時になると、朝食を摂りにドアの前に立ってるんです。初めて来た時のことは…今でも覚えてます。当時、うちではコーンフレークを全種類揃えてたんで、好きなのを選ぶよう言ってやりました。そうしたら戸棚の前に立って何か見てるんです。何をそんなにじっと眺めてるんだって聞いたら…賞味期限を見ていてね。で、古い箱のから順に食べていってました…。
この子は幼かった時、どれだけ苦労してたんだろうって、すぐに思いましたね。」
[日本語翻訳:La Chirico / 伊語記事:MOTOGRANDPRIX 2012年08月09日記事より抜粋]
やっぱり、幼少期にこれだけ苦労すると、成功して大金が入った時にはヨットやら自家用ジェットじゃなく、堅実に牛1000頭買おうって気持ちになるんでしょうねぇ…
ちなみにイタリアでは、世界選手権にまで上ってくる強い選手って言うのは中部以北の出身者が多く(おもにエミリア・ロマーニャですねぇ)…やはり経済的に南北格差があるせいか、南部の方だと子供の時からこんなお金のかかるスポーツができるのは稀のようでして。
現在はではミケーレ・ピッロ選手が珍しく南部プーリアの出身なんですが、やはり最近、本人が、
「僕は他の選手のように子供の時にミニモトから始めたわけじゃない。父が食糧雑貨店を営んでいるんで、良くアペ(三輪オート)で商品の配達を手伝ってたんですよ。それで随分とならしましたね(下記映像で2分50秒ぐらいから、その様子が出てきます)。」と語ってました。
ケイシーが何を言っても個人的には許せてしまうんだけど、こんな過去が、あったんですね。 それにしても欧州以外の出身者は差別みたいな物を感じるんでしょうか? スピーズもそんな事言ってましたね。 管理人さんの言う通りレース運びなのかもしれませんが。 速いライダーは昔から嫌われるけど、ロッシだけは別です。 ロッシがヤマハに移籍せず、ずーっとホンダにいたら・・・ それにしてもケイシーの引退は残念。 あのスライドは、芸術です。 ダート出身のオーストラリア人、もしくはアメリカ人にしか出来ない芸当です。 簡単ではないが、2015年あたりに戻って来てくれないかな・・などと密かに願っています。
いつも新しい記事がアップされるのを楽しみにしています。管理人さんがKCに厳しいのが残念ですが….^^;
KENさんがいわれる通り、彼のライディングは芸術です。それが今年で見納めと思うと非常に残念で、思わずラグナセカまで行ってしまい、持参したKCヘルメットにKC#1サインを頂いてしまいました。退屈気味だったレースもKCが、またブラインド1コーナーでホルヘを抜くという芸当も見せてくれました。一旦休んで頂いて構わないので、是非とも復活してほしいです。(出来ればKawasakiで)