MotoGP

リン・ジャービス『ロッシと一緒に4回タイトルを取り…クアルタラローには3回取って欲しかった』

『ジャービス:ロッシと一緒に4回タイトルを取り…クアルタラローには3回取って欲しかった』

★2025年1月1日より、ヤマハのマネージング・ディレクターにパオロ・パヴェジオが就く。

★前任者であるリン・ジャーヴィス(66才、イギリス出身)は26年間、ヤマハ・レーシング部門の指揮を取ってきた。
2000年代に入ってからはヤマハ再生に大きく貢献し、モトGPタイトルを計8回獲得した(※ロッシ4回、ロレンソ3回、クアルタラロー1回)。

★最近、ジャーヴィス氏が『mgp.gr』のインタビューで次のように話した。

【2004年にヴァレンティーノ・ロッシがヤマハに移籍し、そこから大きく変わったが…】
「すべては2003年に始まり…奇妙な感じでしたよ。2003年はレース優勝さえできなかったんですからねぇ。
当時、モトGPプロジェクトのチームマネージャーは、ダヴィデ・ブリヴィオだったんですよ。
ヴァレンティーノとは良好関係だったんですが…あれは不思議な年でした。奇妙な出会いが重なってねぇ。
ブルノで我々はこう告げたんです…『分かった。ただ、はっきりさせておこう…いくつかの点を我々が実行したら、君は加入してくれるかい?』とね。
そうしたら(ロッシは)、『ええ、入りますよ…あとは、知っての通りの流れになるでしょう』って言ってましたよ。」

【そして、その次にホルヘ・ロレンソをモトGP昇格させ…】
「ホルヘがうちに入ったのは2008年です…ただ、契約自体は2006年に交わしてました。
ヴァレンティーノがF1へ移籍しても大丈夫なように、ホルヘを取ったんですが…まぁ、『キラー・ライダー』だってことは明白でしたね。」

【ロレンソ元選手の活躍ぶりは目覚ましく、共存が難しくなったロッシ元選手は2011年にドゥカティに移籍してしまい…】
「2013年には戻ってきましたけどね…しかも、その後は立場が逆転していたでしょ。ホルヘが王座についていた時、ヴァレンティーノが再生したじゃないですか。
あれもまた勇気ある決断であり…結局、ホルヘの方が(2016年末に)離脱してしまいましたね。」

【2019年にはファビオ・クアルタラローが、ヤマハ・プライベーターからモトGP昇格し…】
「勇気ある決断ですよ…失うものは何もなかったわけだが。
(クアルタラローは)ルーキー年にモルビデッリを敗り、その後、我々はヴァレンティーノ後任としてファクトリー昇格するよう交渉をしました。
第二のヴァレンティーノ・ロッシになってもらうよう…ヴァレンティーノの方はキャリア終焉に入ってましたからね。」

【当初は批判もあったようだが、最終的には正しい選択だった…】
「(クアルタラローは)ファクトリーに昇格した途端に爆走し、タイトルを獲得しましたからね。
当時は特殊な時期と言うか…力バランスがデリケートな、まだ色々と並行して進行していた時期でしたからね。微妙な決断が下されるような時期でした。」

【貴方は3選手と共に8回タイトルを獲得したが…】
「ファビオと一緒にあと2回取りたかったですねぇ…10回タイトル獲得が私の夢だったんですよ。
ただ、2022年にはドゥカティが急速に成長してきたじゃないですか…開発スピードやパフォーマンスの差がありすぎました。」

【現在、ヤマハの方もリニューアルが進められているが…】
「社内の組織体制や作業の進め方に手を入れましたからね…V4エンジンにも取り組んでいるし、多くの変更を加えているところです。
今年からプラマックがプライベーターになるので、最新機4台を参戦させる予定です。
2024年の私の任務は、私の退任後に向けての投資や基礎固めについて決めていくことでした…堅固な基礎になるだろうから、2025年以降も再生に向けての動きが続いていくよう願ってます。」

★ジャーヴィス氏は退任後、上級顧問として『ヤマハ・モーター・レーシング』を引き続きサポートしていく。

(参照サイト:『Corse di moto』)
(参照サイト:『Gpone』)

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