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『鈴木竜生:二輪レースは親の希望でしぶしぶ始めたけど…』
★2月8日、タツキ・スズキ(27才)が自身のYouTubeチャンネルで、レース参戦終了についての挨拶をイタリア語で行った。
★スズキ選手が伊サイト『Moto.it』の2月18日付けインタビューで、次のように話した。
【今朝、貴方に電話した時、『夕方6時まで仕事なので、それ以降にしてもらえますか』と言っていたが…今は7時だが、生活パターンが変わったの?】
「まぁ、今は仕事をしてるってことですね。生活を維持し、前に進むためってことで…個人的に、立ち止まって後ろ向きになるのって良くないと思うんですよ。
今は普通に仕事をしていて…とにかく、人生、前に進んでますよ。」
【どんな仕事なの?】
「まだ秘密です。」
【貴方は1997年の日本生まれで…では、どんな風に二輪レースにハマったの?】
「え〜と…しぶしぶ始めたと言うか…4才の時に始めたんだけど、珍しいパターンかもしれません。
他の人はどうなのか知らないけど、でも、『うん、明日、オートバイに乗ってみるよ』なんて言って始める人なんていないんじゃないのかなぁ。
うちは両親が熱心だったんですよ…特に父親の方が。父は若い頃、二輪レーサーになるのが夢で…でも、当時は難しかったらしいんです。祖父母は共働きで忙しかったから、二輪レースを始めるチャンスなんてなくって。その後、父は母と結婚し、最初の子供が男の子だって分かった時に決めたらしいんです…『適当な年になったら、オートバイをやらせよう』って。
だから、最初は父親の希望で始めて…その後、何年かして、自分も好きになったんです。でも、最初の3〜4年は、ちょっと『やらされてる』って感じでしたけどね。」
【『やらされてる』とは言え、速かったと言うこと?】
「当初、うちの母親がけっこう『教育ママ』で、毎日、学校が終わると校門まで迎えに来てたんですよ…それで、午後3〜7時は近所のミニモトサーキットへ行って。2年間、休みなしで毎日ね。
それだけやったら、当然、他の子供より早く覚えるわけでねぇ。」
【いや、それでも、皆が皆、速くなるわけでは…】
「そうですね…でも、なんて言うか、『僕には才能があったから』なんて言うのはちょっと…。
とにかく、母の…両親のおかげで人より早く覚えたわけで。毎日毎日、走りに連れて行っててくれて…まぁ、今も言った通り、僕の希望ではなかったんですけどね。
そりゃあ、6〜7才の時、学校帰りに同級生がサッカーや野球、バスケットボール、ゲームセンターなんかに行ってたらねぇ…ちょっと羨ましかったですよ。
あの頃、放課後は友達の家に遊びに行きたかったのに、いつも母親がバンで校門まで迎えに来ていて…僕はしぶしぶ乗って、行かなきゃならないんだから。
だから、走り終わって家に帰ったら、いつも、母親に言ってたんです…『面白くないのに、楽しくないのに、なんでやらなきゃならないの?』って。
そうすると、母はいつもこう言うんです…よく覚えてますよ…『あのね、もちろん、今は楽しくないかもしれない…他の子達と比べて、凄く難しいことをしてるって思ってしまうかもしれない。
でも、覚えておきなさい…20〜25年ぐらい経ったら…言い方は悪いけど、他の子達が会社で働くことになっても、貴方は今こうして努力することによって、自分がやりたい仕事を楽に選べるようになるのよ』ってね。
それで、本当にそうなったんですよ…だから、この事については、母に感謝したいですね。」
【つまり、お父さんの夢から始まり、お母さんに後押ししてもらったと言うこと?】
「そうです。当時、父は平日はずっと仕事で…たまに土曜も働いてたんで。だから、付き添ってくれてたのは常に母だったんですよ。」
[ 中編に続く ]
(参照サイト:『Moto.it』)
こういう話を聞くと、子どもが嫌がっているのに親の強い気持ちを押し付ける事の是非について考えさせられます。
正解なんて子どもが大きくならないと判らないんですけどね。
竜生君の事を特集したYOUTUBEを観ましたが地方選手権からCEV→Moto3と特異なルートでまだASIA TARENT CUPも無かった。Moto3の最初の2年間はインドのマヒンドラE/Gで2ポイントや苦しい時期から何時しか和製イタリア人と呼ばれる程溶け込んで、シッチ58のチームが最盛期だったかな10年参戦で表彰台5回と3回の優勝に最高リザルトが年間7位は思った程データ上活躍していないが、転けたりしたが先頭集団や第2集団での走行は多かったと思います。確実に記憶に残る選手の今後はMotoGP界の裏方と思っていますが、当たるかな!?
残念、期待していただけに。
sic58チームのころが最盛期だったね。
moto3では体格が大きく、ストレートがやや遅く、成績を残せなかった。キャリア3勝?だが多重クラッシュに巻き込まれたり、強引にインに入られ弾き飛ばされたり、思うように実力かま発揮できないシーズンが長かったね。
体格的にも早くmoto2に上がってほしかったよ。毎年そう思ってた。