モトGP『阿部典史、コースに再び』
レースが始まる前、故阿部典史選手の父、光雄氏による感動のメモリアル・ランが行なわれた。
2007年10月7日、交通事故により亡くなった息子を偲び、オートレーサーである光雄氏がコースを一周したのだ。
阿部典史選手と言えば長髪ロッカーの気配をたずさえた奇抜なライディングの選手で、デビューしたての若きヴァレンティーノ・ロッシを魅了しまくっていたのだ。1994年、鈴鹿での500ccレースで典史選手の走りを見て以来、現在の『ドクター』の異名を取るまでは『ロッシふみ』なる名前を自らに冠していたほどだった。
(日本語翻訳:La Chirico / 伊語記事:Gpone 2011年10月02日)
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欧米人の心を揺さぶった日本人ライダーって…本当に多いですよね…
ノリックよ永遠に…クリックPrego
なぜ有望な日本人ライダーはみな死んで行ってしまうのだろう
自分がWGPを見るようになって、WGPで死んだのは日本人ばかり
若井(だと思いましたが)90年代初頭セパンのピットロードで、
加藤大治郎、鈴鹿
富沢ショウヤ、ミサノ
安部典史、一般道の事故でしたが、ジュニアや子供たちの指導に尽力を注いでいました
非情に残念でなりません。