モトGP『カピロッシ:解放の涙』
今や誰もがコンピューターを操る時代になったとは言え、22年に渡るローリス・カピロッシのオートバイ世界選手権キャリアを総決算するのは容易なことではない。記憶に残っている記録ならば、まだまとめやすいか…。それでもどっさりあるのだが、数字的には手に負えそうだ。一番簡単なのは今日のを…最後のレースを最良レースとすることか。
「チェッカーフラッグが切られて減速した時…観客の皆さんが立ち上がって拍手を送ってくれたんですよ。こんな感動、もうないでしょうね。嬉しいですよ。」
ドゥカティ・プラマックから降りてすぐ、カピロッシ選手がこう言う。
「嬉しいですね。他の選手と違って、僕は自分で選んだんですからね。なかには不運の中、辞めざるを得ない選手もいる。ケガとか。マシンをキープできなかったとか。僕の場合は単純に、その時が来たから決めたんです。もし続ける気があったなら、それも可能だったわけで。公式に引退声明を出した後でさえ、オファーは来てましたから。でも、今が本当に辞め時でしたね。」
「セパンでの事は腹の底に突き刺さりましたね。マルコなんか、ほんの子供だったじゃないですか。僕が世界選手権で走り始めた時、まだ2才だったんですよ。それでもレースは続いているわけでね。ご家族のことを考えてしまいますね。彼のいない家のこととかね。」
そのレースから完全に離れるわけではない。レース・ディレクションでの役職を…と言う話が出ているのだ。
「完全に辞めるわけではないですよ。今度は別の役回りでね。ここで走る選手は皆、最強だってことは確かですよ。ただ皆が皆、同じ幸運を手にしているわけじゃない。皆が上に上がって行けるよう手助けをして行きたいですね。」
「明日、どのマシンにも乗ってみる気はないですね。マルコのことで、ちょっと気持ちがそがれてしまってね。今日、レースに出られて満足してますよ。いつもの65番の代わりに58番を付けたこともね。最後のレースで、マルコが一緒に走ってたような気にちょっとなれましたね。一番、誇りに感じてることですか?皆から好かれてるって感じがすることですかね。」
カピロッシ選手の言う通り。それが彼のキャリアに対する評価の中で、最も素晴らしいことである。
(日本語翻訳:La Chirico / 伊語記事:Gpone 2011年11月06日)
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この間のセパンでの事故後、真っ先にロッシ選手のボックスに駆けつけたカピロッシ選手の姿を見て、
あぁ、今この瞬間、ロッシの話を聞いてあげられるのはこの人しかいない…って思いました。
“今この瞬間、ロッシの話を聞いてあげられるのはこの人しかいない”
おっしゃる通り!(T_T)
わたしもそう思いました。
誰にでも好かれてるってのは思い上がりだろう。
98年のブエノスアイレスを忘れない。
はじめまして。そして今シーズン、本当にお疲れ様でした。
いつもTwitterで更新情報を知り、此処へ通わせていただき
私の青春を駆け抜けてくれたカピロッシの最後をあまさず伝えていただき、とても感謝しています。
ありがとうございました。
これからも楽しみに拝読させていただきます。