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バニャイア『亡くなったのがモトGP選手だったら、レースは中止になっていたはず』2021イタリアGP

『バニャイア:亡くなったのがモトGP選手だったら、レースは中止になっていたはず』

★5月30日(日)、イタリアGP決勝戦でフランチェスコ・バニャイア(ドゥカティファクトリー)が転倒リタイヤとなった。

★ドゥカティ機はどうトラックが得意であり、また、バニャイア選手は、唯一、クアルタラロー選手に対抗できるペースを出していた。

★クアルタラロー選手のコメント。

「早々にスリップ転倒してしまい…でも、それはどうでもいいことで…。今日は19才の若者が亡くなってしまったんです…然るべき形で物事は進められてなかったですよね。
昨日の時点でもうマシンに乗るのがキツかったのに、今日、ジェイソンのための黙祷をした後は、ほとんど不可能な状態になってしまって。平常心ではありませんでした。若者が1人亡くなってるんですから。
もちろん、こうした状況を上手く采配するのは難しいでしょう。病院側は死亡を公表しなければならないわけだし。でも、今日、レースを開催すると言うことに、僕は賛成できません。
誰からも声は上がらなかったんですよね。僕はダヴィデ(タルドッツィ、チームマネージャー)に、『今日は走りたくないけど、でも、これが僕らの仕事だから』と言ってたんですよ。
2016年にバルセロナでルイス・サロムが亡くなった時もキツくって…今日、黙祷が終わった後はもっとキツかったんです。」

ジェイソン・デュパスキエ逝去が分かった時点で、レースを中止すべきだったと思う?】
「2通りの考え方があるでしょうね。ジェイソンの件を配慮してレースを中止にするか、配慮するからこそ続行するか…ジェイソン本人はレースに出たかったわけだから。
でも、僕ら、皆、人間ですからね。皆、それぞれの考えがあるわけで…僕はけっこう感じやすいタイプだから。スタートの際、あまり平常心でもなかったし、集中もできませんでした。
僕はレース決行は間違いだったと…配慮に欠けたことだと思います。黙祷の最中、精神的にキツいだろうなとは自覚してました…事故のことを思い出してしまって、本当にキツかったんです。」

【こう言う場合、選手らの意見で決められないものなの?】
「そうだったら良いんですけどね。でも、多分、レース中止を望んでいたのは僕ぐらいだったと思います。こう言うことになってしまって、本当に残念です。なんだかまるで、ひどく軽く取り扱われているようで…良くないですよ。
もし亡くなったのがモトGP選手だったら、レースは中止になっていたでしょう。このスポーツに悪い前例を作ってしまったでしょうね。

(参照サイト:『Moto.it』)

POSTED COMMENT

  1. ロッシふみ より:

    レースが興行である限り、これは仕方のないことかと思う。選手は辛いと思うけど、経済的な損失と人の感情を天秤にかけるのは不可能かと。巨大なビジネスと化した現代では、レースを中止にすると言うのは昔のように、感傷、感情では決めれなくなっている。 今回の開催は間違っていないと思います。

  2. 鯖通り より:

    モトGP参戦ライダーの事故だったら中止していたか。
    違うレースを比べても意味が無いですが1994年のF1サンマリノでは予選で死亡事故が有っても決勝は開催しましたよね(その結果は…)

    感情的な面はともかく、明らかにテクニカルな(コース等の)安全性に理由が有った場合以外なら予選に事故が有っても決勝は予定通り行われるのが適切な判断だと思います。

  3. maxtu より:

    仕方ないと思わずにちゃんと問題定義、議論をしていくべきだと思う
    疑問に感じたのは訃報を受けた直後にレース前に黙祷する必要があったのか?
    昨日まで走っていた人が事故で亡くなったコースをこれから走るのは本当に厳しいし、バニャイヤのように心の整理もままならないのもよくわかる
    せめて全レース後、全カテゴリーの人達と共に黙祷しても良かった気がします
    それでも心情的に危険だと思えば出走を取り止めても良いと思う
    スポンサーやクルーの諸事情があっても優先されるのは何よりもレースよりも命

  4. タディの星に願いを より:

    確かにMotoGPクラスのようにより著名であったら受けるインパクトは大なり小なりですね。それを心配していました。
    確かサブカテゴリーで16歳のアメリカ人がなくなったときは扱いが小さかった。デュパスキエは2年目でこれから名を馳せるときだった。不幸にも去年から無観客が多いわけですし。何が何が正解で間違いというのはむつかしいけど、1%でも安全性の向上に努めるのが供養ですよね。

  5. toshi より:

    正直な所、ライブ配信を見ていて あぁやっぱり亡くなったのか……え!?このままの流れでレースやるの?って1視聴者の私ですら困惑したのに当事者のライダー達の心境は計り知れないですね。
    部外者には喪に服すべきなのか、それでもやるべきなのか、判断しかねますが結果実施された訳ですからそれはそれとして受け止めるしかないですよね。
    でもやるからにはライダー達のメンタルケアに最善を尽くしてほしいです。

  6. LUL より:

    ★クアルタラロー選手のコメント。

    になってますね

  7. RZ125S より:

    興行の形式となっているのは観客や選手を守りレースを運営していくための手段であって興行が目的ではない。興行だから仕方ないというのは金儲けでやっているから命を落としてもしょうがないと捉えられそうで誤解を招きそう。危険が魅力というのも違う。限界に挑む姿が魅力と思う。

  8. ババ・ショバート より:

    ペッコの言いたいことは判らなくも無いが、納得できないならスターティンググリッドに着かなければ良かったのでは?
    本戦には参加しながらレース後にその意見は矛盾を感じる。

  9. チャオ より:

    ペッコのコメントから人柄が伝わって来て
    益々好きになるのと同時にチョット残念な気持ち半々。
    まだ若いしコントロールするのも難しいでしょうけど
    でもワークスライダーだから厳しい様だけど昨日の
    走りは不合格かな。でも人間的にはペッコはイイ奴で
    この悲しみを乗り越えて頑張って欲しい。

  10. happyone より:

    自分も同じことになる可能性を感じたが故の感情かと

  11. なお より:

    気持ちはわかる
    ただ、そう思うなら中止を望むのではなく、出走すべきではなかった
    集中出来ていないライダーが出走することは自分にも他人にも危険な事じゃないかな
    バスティアニーニがザルコに追突した件も集中出来ていなかったがあんな事があったんだから仕方ないとコメントしていて、おいおいそれは違うだろうよと思ったし
    バニャイヤにしても、転倒してからそれを言うのはどうなのかと思うよ

  12. 田中 より:

    正直な気持ちなんだろうし、集中力が続かないのも正直な感想だと思う。

    世界グランプリ~モトgpの歴史の中で、レースでは日本人を含め多くのライダーが亡くなっても、中止になったことはないね。

    興行だから、という理由だけでは片づけられない、そういう時代の始まりになって欲しい。

    やはり危険に晒されてるのは選手全員なのだから。

  13. NSR50 より:

    もう20年以上前になるが、鈴鹿の地方選手権の練習走行で一緒にレースしていた友人がなくなった。世界選手権とはレベルの違いは承知のうえですが、普通に次の日レースは開催されたし、自分もショックだったけど、出走取りやめたライダーは誰もいなかったよ。
    むしろ亡くなった本人含めて走行時間が減ったことを残念がるライダーの方が多いんじゃないかな。レースの中止なんてトンでもないし、そんなことになったら死んだ本人が責任感じるんじゃないかと思う。
    レースは危険で死と隣り合わせなんていうけど、走ってる人間にとってどこか他人ごとなんだよね。自分は大丈夫とか平気って考えてる。
    確かにうら若い青年が亡くなったことは残念だし、夢も半ばだったとは思うけど、自分のやりたいことやって、世界選手権の舞台で走れるただけでも幸せだったと思う。友人も含めてそこまで行けない人が大半だから。

  14. 元草レーサー より:

    ここの記事を読み返していました。

    興行という言葉に引っ掛かる方がいらっしゃいますが、興行だから仕方ない、というのはあきらめるしかないという意味ではないと思います。
    グランプリという常人では到達できない域の世界を造り、それを万人が観戦できる仕組みを作って、それに多くの人間がたずさわっています。ライダーはそこに出場することに栄誉を感じ、努力を惜しまず、犠牲を払って、頂点を目指しています。
    興行だから、というのは開催できない状況でない限り、レースは開催されるということです。契約に縛られてはいますが、それぞれチームや個々のライダーが出走を決めています。誰も引きずり出してグリッドに着かせることはできないのです。
    これがグランプリの営みであり、レースの世界に身を置く者の宿命だと思います。

    交通事故を例に出すのが適切かはわからないのですが、事故処理が終わった後に道路を封鎖することはできません。クローズドのサーキットと直接比較はできないかもしれませんが、レースの世界にはこういった悲哀はつきものと思います。仕方なく受け入れている、ということかと思います。

    興行を続けるためには、人々の共感を得られなければなりませんし、これまでもそうであったように安全面の技術的な改善は続けていかなくてはなりません。場合によっては参戦するライダー自身のモラルを問われることもあります。
    そのような世界が肌に合わないのでされば、チームであれ、ライダーであれ、サーキットスタッフであれ、観客であれ、静かに身を引くしかないと思います。

    私達にできることは、亡くなったライダーの冥福を祈り、彼の憧れたグランプリを、誉ある世界に発展させるために努力し続けることかと思います。

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