『ロッシ:マックス・ビアッジとの対立関係は…僕が原因なんだろうね』
★9月初めにヴァレンティーノ・ロッシ(45才、二輪レース最高峰7回タイトル獲得)が、愛弟子アンドレア・ミーニョ(28才)のポッドキャスト『MIG babol』で約1時間のインタビューを受けた。
★9月5日に公開されたインタビュー前半は以下のとおり。なお、11日に後半が公開される予定である。
[ 後編はこちら ]
【最高峰クラスに昇格したら、まずマックス・ビアッジとのライバル関係が凄まじかったが…】
「結局のところ、あれは僕のせいって言うべきなんだろうねぇ。まぁ、むこうはこっちのことが嫌いだったみたいで…当時、イタリアの二輪レーサーと言えば、皆、エミリア・ロマーニャ出身だったから。
その中に、ローマ出身のビアッジがぽつんといたわけでしょ…こっち側から見たら、世間知らずと言うか…トンチンカンと言うか…。
当時、僕はローリス・カピロッシの大ファンだったし、あと、ドリアーノ・ロンボーニのことが好きだったんだけど…ビアッジはその2人と競り合ってたんだよね。
そんな中、僕は125ccデビューしたもんだから…インタビューの度に、そう言う話を言いまくってね。まぁ、当然、ビアッジにしてみれば、『なんだ、この14〜5才のガキは?デビューしたばかりで、俺のことをとやかく言いやがって…』って感じだったでしょ。
しかも、当時、イタリアの二輪レース業界のトップ選手って言えば、ビアッジで…250ccクラスでタイトルを連勝してたんだから。」
【その後、対立がどんどん激しくなり…】
「ビアッジはアプリリア機で250ccタイトルを3年連続で取り、1997年にはホンダ機に乗り換えたんだけど…僕も大方と同様、『ビアッジはアプリリア機だから強かったんだろ』って言ってたんだよ。
そうしたら、その年の鈴鹿開幕戦の時、『Campanella』ってレストランでばったり会ったんだよね。
あの頃は記者らと一緒に晩飯を食って、ちょっとご機嫌を伺うって言うのが流行っていて…実際、ビアッジは何人かと一緒に座っていて、こっちが店に入り、彼らの横を通り過ぎようとしたら、あのトンチンカン野郎がこう言ってきたんだよ…『おやおや、125ccクラスに参戦してる第2のマックス・ビアッジのお出ましじゃないか!』って。
こっちはサーキットから直行してたからリュックを担いだままだったんだけど…こう返してやってね…『いずれ、そっちが250ccクラスのヴァレンティーノ・ロッシって呼ばれるようになるだろ』って。
その場はこっちが大盛り上がりし、ビアッジの方は記者らの前で苦々しい感じになってしまったんだ。
ただ、そのちょっと後、茂木でばったり会ったんだよ…今度はエレベーターでね。
こっちは1人で静かに乗ってたら、途中、ビアッジとマリーノ・ラーギ(※ビアッジ専任の理学療法士)が入って来て…あの瞬間、『チッ!』って思ったねぇ。しかも、ちょうどその頃、こっちはメディア陣とはあまり良好関係ではなかったもんだから。
エレベーターの中でビアッジが、『お前、なんでムカつくことばかりするんだよ…いったい、どう言うつもりだ?』って言ってきて…なんて言い返したかは覚えてないんだけど、とにかくエレベーターの隅に詰め寄られたんで、『なにすんだよ!』って言ったら、ものも言えない状態にされてしまって…それ以来、ホテルのエレベーターには最大の注意を払うようになったんだよ(笑)。」
【そして、2001年のバルセロナGP中、例の乱闘騒ぎとなり…】
「2000年に500ccクラスに昇格した時、むこうが『さてさて、ロッシは500ccでどうなることか…』なんて言ったんだよ。
ところが、シーズンが終わってみたら、総合順位はこっちの方が上でね(※2位ロッシ、3位ビアッジ)。ホラは吹きたくないけど、同じクラスに参戦してた時は常にこっちの方が上位だったんだから。
2001年には本格的に対立関係になってしまって…鈴鹿開幕戦では2〜3回、わざと転倒させようとしてきて…それでアウト側から抜こうとしたら、肘鉄を喰らわせられて…だから、再トライして抜いた瞬間、中指を立ててやったんだよ。
結局、そのレースはこっちが優勝し、むこうは2位となり…バルセロナ戦までずっと、そんな感じで進んでいったんだ。
バルセロナではPPを取ったものの、いつも通り、スタートが悪くって…第1コーナーでクリヴィレーに接触し、15位まで下がってしまったんだ。一方、ビアッジはトップに立っていてね。
ただ、バルセロナは得意トラックだったから15位から追い上げて、ビアッジの後ろに喰い付いたんだよ…最後まで死闘を繰り返し、何度もクロスラインで抜き返されて…むこうは競り合いの猛者だから。
でも、最終的には僕が優勝し…まず、パルクフェルメでの諸々を終え…当時のパルクフェルメって、今よりずっと簡素なものなんだけど…次に表彰台裏に通じるドアを抜けて進むと、控室になっていて…そこでマネージャーのジボに話しかけたんだ…ジボはかなり目が悪くって…とにかく、『イカれたような走りだったな…もの凄い追い上げだったよ』って言ってきて…こっちは、当然のことながら、まだ興奮しまくっててね。
そうしたらビアッジがやって来て、ジボのことを強く押して…振り返ったジボが『なにしやがるんだよ!?』って言ったら、ビアッジがジボに平手打ちを喰らわして…そうしたら、ジボの眼鏡が吹っ飛んでしまったんだ。
けっこう強く叩いてきて…あれは悪意があったねぇ。ビアッジが螺旋階段を上がってきたから、『お前、なんてことするんだよ!?』って言ってやったら、『ほら、来いよ…お前にも喰らわしてやるから』って言って…。
顔を真赤にして、ハイエナみたいに口からよだれを垂らし、怒り狂ってたんだよねぇ。それを見て、『まるで牛の屠殺人みたいだな…向かって行ったら、殴られるぞ』なんて思ったりして…。
とは言え、もう引くわけにもいかないから向かって行って…それで、ちょっとした乱闘騒ぎになったってわけ。
むこうが飛びかかってきたから、こっちはまだヘルメットを被ったままだったんだけど、ちょっ落とし技みたいなのを喰らわせて…乱闘って言えば、確かに乱闘だけど、でも、本格的な殴り合いにはならなかったよ。
しかも、途中でカルロ・フィオラーニ(※当時のホンダのコミュニケーションディレクター)がやって来て…かなりがっちりした体格なんだけど、止めに入ったらビアッジの肘鉄を喰らってしまってね。
今、思い出しても、あれは良い関係だったよ…このライバル関係には、世間もおおいに沸いてたから。
今でも、僕がビアッジに『あとで、うちのモーターホームに来いよ!』って言ってる映像が観れるでしょ。ビアッジも、『おお!待ってろよ。ここは人が多すぎるから、あとで決着をつけよう!』なんて言い返してて。
まぁ、さいわい、来なかったんだけどね(笑)。」
[ 完 ]
(参照サイト:『Mowmag.com』)
ロッシ談はメチャクチャ面白いなー!今はこんなのないね。
ちょっと仲が悪いくらいに思ってたけど
こんなにバチバチ(物理)だったとはw
当時のビアッジもロッシもまさに悪童って感じだったよねぇ。
でも昔はみんなコースの内外で結構バチバチやってるイメージあって、レーサーなんてそんなもんだと思ってたけどね。
昔はしがらみの少ないプライベーターが多かったからかもしれないけど、スポンサーがついたりワークスに入ると多少はしつけられておとなしくなるもんだけど、この二人はそのままだったなwww
すごい記憶力。
20年前の事がよくもこんなに詳細に語れる。
マルケスの話も聞きたい。
もはや有名な語り草(笑)
私が思うに性悪のロッシを作ったのはビアッジだと思ってる。10代の時から7~8歳上のライバルから挑発受け続けたら、そりゃチョットやそっとの殴り合いも平気な根性つきますわ。当時のビアッジのニックネームが「海賊」とか「マッドマックス」でアチコチに喧嘩売ってましたからね。冷やかしでロッシが優勝した時にダッチワイフ担いでウイニングランしたのもビアっジへの当てつけでしたね(爆笑)
ミラーの素行とか可愛く思います。
今のライダーは互いにリスペクトがないって言われるけど、昔からこんな感じですよ。今も昔もライダー同士の人間関係は面白い。
こういう側から見ても本人達もバチバチなのは面白いけど、最近は「自分は何とも思ってませんよ」とか「向こうが勝手にそう思ってるだけ」みたいなのが多い印象だからなんか陰険な感じがするのは自分だけ?
嫌いなら嫌いで良いじゃない、怪我はダメだけどやられたらやり返すくらいの気持ちで良いと思う
ロッシ&マルクがなんかモヤモヤするのはこれのせい?
これはある種対等かつ当人同士だからこそまだ笑い話になるのであって
ここでファンのブーイングとか使いだすと陰険になりますね
ロッシとストーナーなんか特にそうでした
このままジベルノーやマルクとの話まで続けて欲しいです(笑)
まだ思い出話にするには生々しいですかねこの辺は
ビアッジがチーム監督になる(できる)なんて当時は1ミリも想像できなかった。
マックスビアッジ好きだった ロッシもだがヤマハの時、、
ビアッジのピット入らないといけないのにピット入らずにドゥーハンに勝ったレースが記憶に残ってる
こう云う男の喧嘩みたいなのはいいよね
レイニーとシュワンツとか正にそんな感じだったから
ロッシがおかしくなったのはこれ以降に人気がムチャクチャ上がり、超絶スター選手になっちゃって大きな権力を持つようになってから
尋常じゃない数のファンがロッシの側に付いたことと、ネット文化が日常に根付いたことが合わさり喧嘩と言うより虐めみたいになっちゃった
ジベルナウやペドロサやストーナーもそれに相当苦しめられたと後に語ってる
マルケスも苦しんだが少しネジが外れた選手だったことが幸いしてか耐えられた
ビアッジは原田とも仲が悪かったね…
当時、原田は「ビアッジと顔を合わせても、『チャオ』とも言わない」なんて言ってた。
ライバルに対しては、厳しい人だったんだろうね。
その後、原田の引退会見で、ビアッジは原田を労うコメントをして、原田が涙を流していたのが印象的だった。
闘いや勝負を離れたら、相手を労うような優しさもあるんだよね。
ロッシに対しても、いつか良い関係になりたいと言ってたし。