MotoGP

『日本再生:小椋藍&ヤマハがモトGP史を塗り替える…』ディアナ・タマンティーニ

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『タマンティーニ:日本再生、小椋藍&ヤマハがモトGP史を塗り替える…』

★7月1日、ヤマハファクトリーが2027年に向け、ホルヘ・マルティンおよびアイ・オグラと契約したことを公表した。

★7月1日、イタリアのディアナ・タマンティーニ記者が、『日本再生:オグラ&ヤマハは既に歴史を塗り替えている』と言う見出しで次のように書いた。

《日本メーカーがモトGPに、日本人選手を参戦させる…昨今のホンダには例があるが(タカアキ・ナカガミ)、ヤマハの場合はかなり歴史を遡らなければならない。
まず、ヤマハファクトリーが最高峰クラスに参戦したのが1999年で、まだ500ccクラスだった頃だ。そして、500ccでもモトGPクラスでも、ヤマハは日本人選手をそれほど起用しておらず…特にここ10年ほどは、ごくたまに代役かワイルドカード程度で参戦するだけだった。

前回のオランダGPで『タマダにつぎ、22年ぶりの日本人優勝』を果たしたオグラは、少し気まずそうに『本当に久しぶりですよね』と言い、まるで自分などは足元にも及ばないと言った様子を見せた。
オグラは内向的で腰の低さも有名だが、もはや度を超しているとさえ言えるだろう…とにかくモト3デビュー以来、世界選手権の歴史を力づくで書き換えてきている選手なのだから。
日本の特異な点は、世界チャンピオンこそ多く輩出していないものの、参戦した多くの選手が足跡を残し…特に欧州選手らを魅了さえしていることだ。
オグラもその一人であり、例えば、来年のチームメイトであるホルヘ・マルティンはオグラのライディングスタイルに驚嘆し、『コーナーの度に転倒しそうな感じなのに…僕には、とても真似できない』と話していた。

ちなみに現在参戦しているヤマハファクトリーチームは、これまで一度も日本人選手を起用したことがない。
ただし、(プライベートチームから)最高峰クラスに参戦した選手は何名かいて…なかでもノリフミ・アベ、シンヤ・ナカノ、ノリユキ・ハガのことは忘れてはいけない。
アベなどは、あのヴァレンティーノ・ロッシのロールモデルになったほどで、当時、ロッシはみずからを『ろっしふみ』と名乗っていたほどだ。
さらに時代を遡るならば、1970年代のヒデオ・カナヤやタカズミ・カタヤマがおり、80年代にはタダヒコ・タイラ、90年代にはキョウジ・ナンバやトシヒコ・ホンマらが参戦していた。

2010年には負傷したロッシの代わりにワタル・ヨシカワや、また、その後もロレンソやスピーズ代役としてカツユキ・ナカスガなどテストライダーが参戦していたが、それ以降、ファクトリーチームが日本人ライダーを走らせることはなかった。
プライベーター(テック3)も、2017年の日本GPにフォルガー代役としてノザネ・コウタ(テストライダー)を出したのが最後である。

と言うことで…ヤマハファクトリーから日本人選手がフル参戦するのは、オグラが初めてなのだ。
オグラにとっては大きな栄誉であるが、同時に大きなプレッシャーを背負うことになるだろう。》

(参照サイト:『Corse di moto』)
(Photo:Instagram

POSTED COMMENT

  1. スペンサーレプリカ より:

    >ヤマハファクトリーが最高峰クラスに参戦したのが1999年

    ???そんなわけないやん!1970年代前半には参戦してるでしょ。

  2. 炭火焼き より:

    >> ノザネ・コウタ

    管理人さん
    彼だけ他の日本人ライダーと表記が異なってますよ
    コウタ・ノザネ
    としたいのでは?

  3. テック21 より:

    >スペンサーレプリカさん

    横から失礼します。
    1980年代はマルボロアゴスティーニ、そしてロバーツ、レイニーとファクトリーバイクを走らせる半分ファクトリー/半分プライベートチームと言う位置づけだったのではないでしょうか? Wikiを見ると、レイニーの監督引退と入れ替えで1999年に新たにファクトリーチームを開設と出ています。それまではヤマハが全面的にバックアップするが、オーナーはヤマハではないチームと言う位置づけではないかと思います。小椋選手が自分の知る限り、現在の枠組みの中では初のヤマハのファクトリーライダーと思っています。

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