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フォンシ・ニエト引退:加藤や富沢とも走ったけれど…

モト2『フォンシ・ニエト選手が引退声明』




去年、モト2クラスに参戦していたフォンシ・ゴンザレス・ニエト選手が手短に、しかしながら決定的な声明を出した。
「スポーツ選手としてのキャリアに終止符を打ちます。」
マドリードにて公式に選手引退を発表したのだ。なお、ニエト選手は2011年のモト2クラス参戦をエントリーしていた。

マドリード市内のホテルで行なわれた記者会見で、ニエト選手は次のように語っている。
「ここ数日の間ずっと、引退について検討していました。家族全員、そして従兄弟らとも話しました。僕が所属するチームは従兄弟のものなのでトラブルも誤解も避けたかったんですが、引退するって伝えた時、喜んでたようにも思えました。」

現役時代には多くの人間に支えられてきた。その中には、叔父であるアンヘル・ニエト元選手や整形外科医のアンヘル・ヴィリャモール氏などがいる。
ヴィリャモール医師は、ニエト選手の足のケガの後遺症は完治しないものとし、
「フォンシ選手は足裏をつけることができません。」と説明。
また、ケガ自体は「アメリカ戦でのひどい転倒」で負ったものと遠回しに話している。

フォンシ選手は2002年の250ccクラスで準優勝を果し、シーズン4勝を遂げ、イタリア人ライダーのマルコ・メランドリ選手とタイトル争いをした後、「足の調子が100%ではない」ことに気づいたのだと言う。

「ジムでトレーニングをしても、5分も続けていられない。望むように最善を尽くせないのなら、引退した方が良いと思いました。ただ、この決断をしたことで一生苦しみ続けるとは思いますが。」とニエト選手は言う。

「バイクがどんなものなのか分かっているし、僕は加藤選手や富沢選手とも一緒に走りました。
今、僕はリタイヤするわけですが、堂々とした気持ちで去って行けます。それは他のライダー達にはできなかったことでもあります。」と、日本人選手2名の死亡事故を暗に指しながら話している。

「インディアナポリスでの事故の後、かなりのキツい状態で生きてきたし、その後のリザルトが今回の引退を決めたおもな理由です。ただ今後も、オートバイレース業界とはつながっていたいと思っています。大きな情熱を注いでいるものだし、心の底から好きなものですから。」

叔父であるアンヘル・ニエト元選手は、自身の息子達ヘレテ氏かパブロ氏、もしくは甥のフォンシ選手にチャンピオンになってもらいたかったと話しながら、
「フォンシの決意は辛いものですよ。続けたいと思いながら辞めるって言うのは、非常にデリケートなものだから。
でも、祝ってやる以外には何もできないからね。この場合は、そうするのが相応しいわけだし、ずっと世界選手権で走ってきたんだし。
フォンシも、うちの息子達と同じように、バイクを駆るのが夢だったわけで、みんな、その夢を実現させ、それぞれのやり方でオートバイレースで良い結果を出してきたんです。チャンピオンにはならなかったけど、期待した以上に応えてくれましたよ。」

(日本語翻訳:La Chirico / 西語記事: Marca 2011年02月07日 写真



ニエト選手は2010年インディのフリー走行で転倒し
左足首、かかと周りを多重骨折しております。

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