MotoGP

ロッシが綴るシッチ思い出『僕のことが好きだって一目瞭然だった』


先週の9月5日、ヴァレンティーノ・ロッシが富沢選手の命日を偲ぶツイートをしていたことは当ブログでもご紹介してたんですが…
実は同じ日に、ロッシがあるリツィートもしてたんですよ。それがこちら。

《12日、シッチ本が出版されるとお知らせすることにした。パオロ&ロッセッラ・シモンチェッリ夫妻が私と一緒に書いたのだ。凄く良いと思う。》


で、その本の一部分にロッシが書いてるところもあるそうでして…
抜粋が紹介されてましたんで、そこんとこだけちょいと訳してみました。

『ロッシが綴るシッチ:最高の関係、彼のおかげ』

gazzetta-rossi-sic.jpg ★9月14日、Rizzoli社から出版される『Il nostro Sic(私達のシッチ:ロッセッラ&パオロ・シモンチェッリ著)』の中で、ヴァレンティーノ・ロッシがマルコ・シモンチェッリについて綴っている。
《何年かが過ぎ、僕らは敵同士にもなった…シッチが成長してきたからだ。モトGPクラスでの初シーズン終盤には、かなり強い走りをするようになってきていて、僕としてはあらゆる問題点を抱えてドゥカティに行ってしまったのが残念だった…彼が強くなった時には、こちらはがっかりな有様になってきていたからだ。だから、採石場(以前のロッシのトレーニング場)での時のような真剣勝負に…最終ラップで好順位を競り合うようなことは一度もなかった。残念だ…きっと面白かっただろうに。

優しい面が多かった。物を知らないとか、石頭なところもあって…コース上では…まったく…友達だって苛つくようなところがあった。〜中略〜僕が思うに、こう考えてたんじゃないかなぁ…“他の選手に比べたら自分は巨人ライダーだ。他の小人ライダーよりも不利なんだから、少なくとも一騎打ちになったら体重に物を言わせてやるぞ”って。とにかく、彼との競合いは本当に面白かった…いや、確かにヘマをするタイプではあったけど〜中略〜ただ、他の選手らはむかっ腹を立てていて…特にストーナーとロレンソがね…彼のことを恐れてたからなんだけど。

シッチは時々、はみだし者なところが少しあったけど、オートバイスポーツって言うのもそう言うもんで、最終ラップが全てなわけだから。2011年の彼は本当にしょっちゅう速かった。最終的には大バカ野郎見えてたけど、間近で見てたらプロ選手だったって言えるね…厳しいトレーニングを積んで、特に、目標がはっきりしてるタイプだった。彼の目標はいつも最大限だった。もう少し上でもあったな。ある種のことにはかなり無謀でね…特にスライディングとか。〜中略〜ゴールして良くこう言ってた…“なんてこったい。あそこの出口でスライディングしちまった。”って。で、こう答えることになるわけ…“シッチ、おい…あそこのコーナーって…スライディングは危険すぎるぞ。”て。その通りだって彼も認めることになる。どうして認めることになるかって言えば、3日後にはやっぱりその同じコーナーで打ちつけることになるもんだから…。

シッチと僕が揉めるように仕向けてた人間も多いけど〜中略〜でも、僕らはいつも上手くいっていた…それは特に彼のお陰なんだけど。僕のことが好きなんだって一目瞭然だったから。純粋なやつだった。そこが他の人間と違うところだったし、いつもそれはそのままで…僕らが敵同士になってもからもだった〜中略〜本当に僕のファンだったんだ。僕のレースを観ながら成長してきて〜中略〜シッチと一緒だと、おかしくなりそうなほどいつも楽しかった。》

[日本語翻訳:La Chirico / 伊語記事:La Gazzetta dello Sport 2012年09月13日記事抜粋より]


ロッシ広報こと『Mediaset』サイトの方にも似たような記事があったんですが…
あぁぁ、こっちは婚約者ケイトさんの書いた部分が…しみますねぇ。

『私達のシッチについて話しましょう』

mediaset-sic-libro.jpg ★ロッセッラ、パオロ・シモンチェッリ夫妻が、両親の目から見たマルコ・シモンチェッリについての本を書いた。ジャーナリストのパオロ・ベルトラーモが仕上げ、200枚のカラー写真や未公開のエピソードなどが含まれている。

★ヴァレンティーノ・ロッシによるシッチの思い出
《僕ら一緒で楽しかった…良く色々な競争をした。シッチとだと何をやっても乱闘騒ぎになってしまい…ビリヤードをやっていてもそうだった。》

★婚約者ケイトさんが語る、シッチとの出会い
《私が17才の時、女友達と一緒にチェッカリーニ大通りでディスコのビラ配りをしていたら、遠くに若い男の人が2人いるのが目に入った。1人はチリチリ頭で、もう1人はもの凄いイケメンだった。近づいて行って、イケメンの方に“ヴィッリャ・デッレ・ローゼのディスコはいかが?”言ったら、チリチリ頭の方がちらしを受け取って、“いいね。君も来るんならね。”って言ったの。》

[日本語翻訳:La Chirico / 伊語記事:Mediaset.it 2012年09月13日記事抜粋より]


確か…今年の『Dedikato』はシッチ追悼の企画があって、そてが9月13日に予定されてたはずなんですが…雨のため土曜夜に変更されたとか。
晴れると良いですね。


シッチのおかげ…クリックPrego

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POSTED COMMENT

  1. Ken より:

    マルコのレース中のアグレッシブさには、一観戦者としても、ん? と思うことが多かったんですが、少しずつ問題がなくなってきて、そしてモトgpの初表彰台。その時の彼の無邪気な顔を見て、逸れまdのモヤモヤが一気に吹っ飛びファンになりました。 本当に一生懸命なんだなっとその笑顔で分かったような気がしました。 その矢先の事故で、心の底から悲しかったです。 昔は無茶しまくったヴァレンティノからみたら本当に可愛かったんだろうと思います。 日本人としたは、大ちゃん、そして富沢選手の事故がありl、悲しい事故が続いてしまいましたが、レースは続いて行くんですよね。 日本のサーキットに加藤選手、富沢選手の名前つけれないでしょうか? どんなに悲しいことも時間と共に記憶が薄れて行く、でも日本のモータースポーツのためにも忘れてはならない事があります。

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