『ミール:子供の頃は参戦費用を払えず、とにかく勝って昇り続けなければならなかった』
★昨年、初タイトルを獲得したジョアン・ミールは、現在、総合3位で首位クアルタラローとは79ポイント差であるため、もはやタイトル防衛は無理だと見られている。
★最近、ミール選手が次のように話した。
【タイトル防衛のプレッシャーは、やはり、大きかった…?】
「プレッシャーに関しては、僕は上手くコントロールできるんで…問題は別な方なんですよ(※マシンが昨年からあまり改善されていない点や、チーフマネージャーの不在などを指している)。」
【プレッシャーの取り扱いは、子供の頃から慣れているから?】
「レース業界でどんどん上のクラスに進んで行こうと思ったら、2つ方法があるんですよ…勝ち続けるか、もしくは、(参戦費用の)持ち出しをするかなんです。
子供の頃、レースは遊びだったけど、その後、どんどん真剣になっていって…ただ、僕は現実的な方だから、他の選手と競り合って行けそうだってことを確認してから、スペイン選手権に参加したんです。
ただ、うちの父にはチームに参戦費用を払うような余裕がなく、他の家庭のように『じゃあ、うちでお金を出せば参戦できるんですね』なんて言ってられなかったんですよ。
それで、僕はゼロから築いていかなければならず…各選手権でチャンピオンになって、他のチームの目に留まるよう…そして、次のクラスに上がっていけるよう…。とにかく、自腹で参戦費用を用意する余裕はなかったわけだから。勝てば上のクラスに昇格できるんで、子供の頃から自然と真剣になっていったんです。とにかく、どこの選手権でも常に勝たなければならず…あの頃は、けっこうキツかったですね。」
【そうやって、世界選手権にたどり着いた…】
「レースはずっと、気軽に楽しめるようなものではなかったですね…レースの間、ずっと張り詰めた状態だったから。
ただ、良い成長プロセスではありました。そうしたプロセス自体は良かったけど、でも、あの当時のレースはキツかったです…責任重大だったんで。
今年、僕はタイトル防衛のプレッシャーで大変だろうって言われてたけど、モトGPタイトルを取る前までの方がプレッシャーは段違いに大きかったんで。
あれこそ、まさにプレッシャーってやつですよ…マシンは決して最良とは言えないものなのに、とにかく勝って、他のチームに注目され、オファーをゲットしなければならず…同じクラスに2年もいるわけにはいかないんだから。どんどん昇格していける選手だってところを、証明しなければならなかったんですからね。
世界選手権にたどり着いた時、初めて楽しいって思えるようになりました。」
(参照サイト:『Mowmag.com』)
(参照サイト:『Tuttomotoriweb』)
(Photo:Instagram)
ミールが「タイトル争いが出来なくなったら引退する」って言った話は、『サンマリノ&リビエラ・ディ・リミニGPまとめ』でどうぞ!
関係ない話で申し訳ありませんが、スズキのライダーで連覇した人っているんでしょうか?ミル・ロバーツJr・シュワンツと翌年は大差で2位以下になってて、不思議です。
そうやってプレッシャーに強いメンタルが出来上がったんだな
連覇は記憶に無いですね…スズキ機が圧倒的に優れてたシーズンがそもそも無いですから…周りの人の不遇もあってのタイトルが多い分通常のシーズンで安定して狙えるマシンでは無いって事ではないでしょうか
バリー・シーン
1976年・1977年
バリー・シーンが76.77年のチャンピオンです。78年はランキング2位でした。
ちなみに78年チャンピオンはケニー・ロバーツ(ヤマハ)です。
同じライダーではないですが、81年マルコ・ルッキネリ、82年フランコ・ウンチーニがチャンピオンになり、個人タイトル連覇してますね。
いた(笑)恥ずかしい…
スズキはGP取っても販売が伸びなかったのが痛いですね
>ugemさん
ありがとうございます。
>KWさん
詳しい情報ありがとうございます。