『ドヴィツィオーゾ:ドゥカティ時代、その後のヤマハ時代について』
★アンドレア・ドヴィツィオーゾ(38才、2017〜19年にモトGP総合2位)は、先日、ヤマハのプライベートテストにカル・クラッチロー代役としてテストライダー役を務めた。
また、ヤマハから茂木GPワイルドカード参戦のオファーもあったが、断っている。
★同プライベートテスト直後、ドヴィツィオーゾ元選手がアンドレア・ミーニョのポッドキャストで次のように話した。
【貴方は2020年末にドゥカティから離脱し、2021年シーズン後半にヤマハ・プライベートチームからモトGP復帰したが…】
「リザルト的には、2020年末で引退してたほうが良かったけどね。まか、とにかく、あの年は厳しいシーズンになってしまったよねぇ。
(2020年シーズンは)タイヤのカーカスが新しくなったせいで、僕の強みがすべて失われてしまい…そのうえ、コロナ禍のせいで、レースウィークエンドは厄介になり、しかも、退屈なものになってしまってたでしょ。
その後、ヤマハから(プライベートチーム加入の)オファーを貰い…マシンのポテンシャルに関しては、はた目には分かりづらい状況だったし。
マシンの問題点の全てなのか一部分なのか…とにかく、それをカバーして好リザルトを出す選手が、常にいたもんだから。例えば、クアルタラローとかね。
ヤマハから参戦したシーズンは、本当に酷かった…檻にでも閉じ込められてるような感じで、作業する機会もなかったんだから。
2021年末から2022年初めまでは、改善されるかもって期待してたけど…そうはいかなかったし。
当時のヤマハは、変えるべき箇所が複数あるってことを理解してなかったから…まぁ、今はちゃんと分かってるけどね。実際、改革してる最中だし。」
【貴方は2013年にドゥカティファクトリーに加入し、2020年末に離脱していたが…】
「ドゥカティに入った理由はいくつかあって…一番は(2011〜2012年にドゥカティから参戦していた)ヴァレンティーノ・ロッシがヤマハに戻りたがってたからでね。
僕がドゥカティに入った時は、首位と45秒ぐらいの差で…(そこから優勝争いするようになるまでは)けっこうハードなプロセスだったけど、良い勉強にはなったね。
あの期間、逃げ道になるようなB案を持ってなかったおかげで、音を上げずに済んだから。
その後、ジジ・ダッリーニャが加入してきて、諸々が変わってゆき…まだまだ他メーカー機には引き離されてたけど、新マシンで本格的に追い上げていけるようになってね。
ただ、2020年には(ダッリーニャとの)関係が破綻してしまって…それまでの数年間は自分の目標に集中していたせいもあり、少なくとも2回は踏みとどまったんだけどねぇ。
でも、2020年はもう無理だったよ。」
[ 後半に続く ]
(参照サイト:『Motosprint』)
(Photo:Instagram)
おじやんもいかにもクセ強そうだもんな
でも当時の自チームのエースライダーと喧嘩して
排斥しちゃうってなかなか金玉デカいよね。
今ならドゥカティ乗りたいライダーが列なしてるけど
当時は「何十憶積んでマルケス獲れねーかな?」とかいう
レベルだったような。
ドゥカティとしてもおじやん路線で大勝利だ