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ロレンソ『ドゥカティがもっと待ってくれてたら…ヤマハが僕を外したのは間違い…』

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『ロレンソ:ドゥカティがもっと待ってくれてたら…ヤマハが僕を外したのは間違い…』

ホルヘ・ロレンソ(39才)は2008年にヤマハファクトリーからモトGPデビューし、ロッシやストーナー、ペドロサらと共に『ファンタスティック4』と呼ばれて一時代を築いた名選手である。
ヤマハ時代に3回タイトルを獲得し(2006/2007/2015)、2017年にドゥカティファクトリーに移籍、2019年にはホンダファクトリーに移籍して同年末に引退した。

★先日、ロレンソ元選手がポッドキャスト『Fast & Curious』で次のように話した。

【2019年に引退したが…当時、どんな状態だったの?】
「あの年は本当に厳しくって…まぁ、もしホンダ移籍を決めなければ…もしドゥカティがもう少し辛抱強く待ってくれて、契約更改ができていれば…確実に、あと3年は現役を続けられてたでしょうね。もしかしたら、タイトルももっと取れてたかもしれない…。」

【2017年にドゥカティに移籍し、好リザルトが出るまで時間がかかりすぎてしまってたから…】
「あの時はねぇ…生まれて初めて、鬱になりかけましたよ。トップチームから正当に評価してもらえてないって感じちゃってねぇ。
ドゥカティでの契約金額は、当時、モトGP史上最高額って言われてたのに…(契約更改の時期が来ても)その10分の1の金額さえ提示してくれないんだから。
ヤマハに復帰するとしたら、出来たばかりのプライベートチーム(ペトロナス)しかなくって…それは嫌だったんですよ。辛かったなぁ…もうトレーニングをする気にもなれなくて、ひたすらホテルに戻って寝たかった。」

【しかし、2018年6月には立て続けに優勝を決め…】
「鬱っぽい状態だったのが、バルセロナテストでは2位になり…そして、ムジェッロで優勝してねぇ。その前日にはホンダと契約して…地獄から天国って感じでしたね。
ただ、あいにく、当時はホンダに加入したことで自分のモトGPキャリアが終わってしまうなんて…考えもしなかったんですよ。」

【2019年の6月、オランダGP中の転倒で第6胸椎を骨折し…】
「立ち上がったら息ができなくて…重傷だって気づいたんです。それで、『また歩けるようになって、元気になれるなら…引退しよう』って思ったんです。考え方が100%変わってしまってね。」

【2020年にはヤマハのテストライダーとなったが、コロナ禍になってしまったせいでレースも減り、テストも行われず…】
「引退直後、ヤマハからテストライダーのオファー連絡が来たんだけど…ただ、あの頃は生活スタイルをガラリと変えてしまってたんですよ。
もともと完璧主義なうえ、18年間ずっとストレスと転倒の繰り返しで…自分自身への要求が大きかったからねぇ。
結局、ヤマハのテストライダーに関しては、しっかり自分の役割に集中できなかったんですよ。でも、僕を継続しなかったのはヤマハ側のミスだったと思ってます。
多分、マシン開発において、僕はけっこう貢献できてたはずですからね。でも、ヤマハ側が決めたことだから(★クラッチローと交代)…僕も受け入れましたよ。」

(参照サイト:『Corse di moto』)
(Photo:Instagram

POSTED COMMENT

  1. ちっち より:

    ロレンソをテストライダーで起用し続けていればYAMAHAは迷走しなかったと思う
    ロレンソはマルクを破れる唯一のライダーで
    DUCATIの経験もあったんだから最高のリファレンスだ
    現在に至るDUCATIの躍進はドヴィよりロレンソのフィードバックが大きい
    問題はマルクの策略(プーチへ助言)で乗りこなせないHONDA入りしてしまったこと
    この記事でも言ってるけど
    ペトロナスやプラマックへの都落ちは許容できなかったんだろうね

    今回のDUCATIファクトリーのアコスタ起用も似た空気がある
    マシンの信頼性はともかくアコスタのスタイルはKTM機が合ってるし
    乗り換えにうまく適応できない可能性は十分ある

  2. きゃめる より:

    ドゥカもロレンソを引き入れた事で色々勉強なったと思います。当時としてはジジ体制を敷いてから、ヤマハのみの経験とは言えトップクラスの選手を久々に迎え、マシンに適応出来るように一年以上は試行錯誤してました。やっと結果が出るようになった頃は来期のライダーを決めてた頃でしたね。それを察してロレンソはホンダに動いたけど…。
    タラレバですが、ドゥカでロレンソがチャンピオンは有り得ましたね。

  3. 鯖通り より:

    ロッシとの待遇差に悩み続けたヤマハ時代
    マシン開発に要求を出し続けてようやく実現した時にはシート喪失の危機になっていたドゥカティ時代
    ライダーとしての成績に比較すると何故か今一つ不遇のままだった印象は有ります

    テストライダーの件はコンディション不充分の状態のままで臨んでヤマハが期待するペースで走れなかった為ヤマハ側から断ったと記憶していますが、当時のヤマハにはその後の迷走と不振は予測できなかったでしょうね

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