才能を無駄に散らせた最強ライダー【前編】:シュワンツ・原田・カダローラ

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モトGP 『無駄に散った才能あるライダー達』

多くの勝ち星を取り続けたライダーもいれば、偉大な才能にもかかわらず勝利に恵まれなかったライダーもいる。
本来ならば、もっと多くのタイトルを手に入れられたはずのチャンピオン達を集めてみた。




ケヴィン・シュワンツ
リザルトだけを見るならば、大成しなかった大物と言うカテゴリーのシンボルは、最強ライダーの1人…常に見ごたえある走りをし続けてきたケヴィン・シュワンツだろう。
1964年6月19日、米テキサス州ヒューストンに生まれ、1986年から世界選手権に参戦し続け、1995年のムジェッロ記者会見にて、左手首の負傷を理由に涙の引退声明をしたのだ。
ヴァレンティーノ・ロッシやアンドレア・ドウ゛ィツィオーゾら、現在、活躍しているライダー達の多くは、シュワンツ伝説と共に成長している。他のメーカーを顧みずスズキに乗り続けて果された伝説…。おそらく、それ故に500ccクラスにおけるシュワンツの総合優勝が1993年度の一度限りであり、優勝25回、表彰台回数51回に留まったのだろう。
これは多くのライダーにとっては小躍りしそうなリザルトだが、偉大なるシュワンツにとっては少々厳しい数字である。
決して他に比べ勝てるマシンに乗らなかったうえ、度重なる転倒に足を引っ張られたライダーにとっては…だ。

原田哲也
センセーショナルなライダーをもう1人挙げてみよう。
原田哲也…おそらく、世界選手権に参戦した日本人ライダーの中では最強だろう。
当時、ホンダやアプリリアに比べ遥かに劣っていたヤマハTZ250Mを駆って、1993年、原田はローリス・カピロッシを最終戦で敗り総合優勝を果たした。
その後の1998年、やはり最終戦のアルゼンチンGPではカピロッシに敗られているが、同レースでの追い越しについては未だにファン達の間では問題視されている。総合優勝を目前にしていた原田は、チームメイトのカピロッシに突進され、結局、転倒してしまったのだ。
1970年6月14日、原田は千葉で生まれた。世界選手権では1位17回(全て250ccクラス)、2位26回、3位12回(500ccクラスで2回)に輝き、表彰台回数はトータルで55回を数える。
一度だけの総合優勝などで終わる実力ではなかったのだ。せめて、その後のアプリリア、2002年のホンダで走った500cc時代にもう一度ぐらい…。
しかし、モトGPに参戦した際には、もはやキャリアの終焉を迎えようとしていたのだった。

ルーカ・カダローラ
世界選手権で三度の総合優勝を果した。125ccクラスで一度、250ccクラスで二度。そして、カダローラのキャリアに足りないのが最高峰500ccクラスでの総合優勝だ。
1963年5月17日、モデナに生まれる。類いまれな才能に恵まれ、世界選手権の三クラスにおいて1位に輝いたことのある数少ないライダーの1人なのだ。具体的に言うならば125ccで4回、250ccで22回、500ccで8回。表彰台回数はトータルで72回、PP29回、最速ラップ33回。
数字だけ並べてみれば、カダローラは非常に高いレベルの選手と言える。だが、例えば私のように、幸運にも走っている姿を目の当たりにした者にとっては、500ccでの総合優勝だって可能だったことは明らかなのだ。
当時を振り返ってみれば、カダローラはダンロップのタイヤがミシュランのレベルに及ばないことを悔しがる一方で、1996年にはスポンサーなしのカネモト・ホンダチームから参戦し、マレーシア初陣で勝利を飾っている。プライベートチームがオフィシャルを敗ったことで、非常に不興を買ったとカダローラ自身は言う。
ヤマハでのチームメイトだったウェイン・レイニーは、カダローラについて「トラブルを乗り越えて」走ることはできなかったと話している。
つまり、世代を通じてイタリア最強ライダーの1人でありながら、最高峰クラスを制覇できなかったと言うことなのだ。


(日本語翻訳:La Chirico / 伊語記事:Moto.it 2011年01月21日


後編には、日本人ライダーが2名も入っております…

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