SuperBike

WSBラスコルツ事故の経緯、謎の直線ポイント

WSB『ホアン・ラスコルツ:事故の経緯』




WSBイモラ決勝レース翌日の月曜日は、どこか嵐の前の静けさのような空気が漂っていた。パドックに足を踏み入れても、ここ3日間溢れかえっていた人々の姿はなく、騒ぎ声やスクーターの喧噪、コースからのマシンの轟も聞こえてはこない。そう、この月曜日はいつものそれではなかったのだ。チームの多くがピレッリテストのために残っていた。スーパーバイクテスト第1セッションも終わりかけ、カルロス・チェカがスクーターにまたがってカワサキのボックスへと向かっていた。メカニックらと話をしようと思ってのことだ。ラスコルツ選手の転倒はまだ伝わってきてなかった。ただ、他の選手らがボックスへと戻ってくる姿を見る限り、なにか重大なことが起きたことは容易に理解できた。

モバイル・クリニック
モバイル・クリニックから我々に通達が届く。
「現在、ヘリコプターがこちらに向かっていて、すぐにボローニャに搬送する。」
そして、少しずつ情報が漏れ聞こえてくる。意識はあるが、身体を動かすことはできない。搬送先はマッジョーレ病院で、コスタ医師がすでに病院の医師団に連絡済み、手術の用意をして待機していると。13時50分、モバイル・クリニックから担架が搬出される。ラスコルツ選手は黄色の耐熱ブランケットに包まれていた。首を横に振るコルバショ医師の姿が目に入る。誰も何も言わない。詳しい容態についてはヘリコプターがボローニャに到着するまで待つしかない。
残された選手らが自問する…テストは続けるのか、それとも辞めて家に帰るのか?
パオロ・チャバッティらと共に話し合いの場が設けられ、多くがテスト中止を強く主張した。そして、この先…アッセン、そしてモンツァと…選手代表がコースの下見を行い、危険ポイントの有無を調べ、必要な場合は対策案を練ることなどが決められる。
その後、テストは再開されたものの、チェカ、ジュリアーノ、ディヴィス、ホプキンス選手らの姿はなく、それ以外の選手は全員コースへと降り立った。そのなかにはラスコルツ選手のチームメイト、サイクス選手も含まれていた。

選手らの反応
我々がALTEAボックスに来た時には、すでにサンディ選手のパニガーレ機をトラックに積み込んでいる最中で、チェカ選手は引上げてしまっていた。ドゥカティチームのテクニカルスタッフによれば、かなりショックを受けていた様子だったと。そして、午後のセッションには参加しないと言うことだけを教えてくれた。
一方、ジュリアーノ選手はまだボックス内でスタッフらと一緒で、次のように話してくれた。
「チャバッティ氏とのミーティングを聞く限りは、午後のセッションは誰も参加しないような感じだったんですが。でも、どうやら走らない方が少ないみたいですね。どちらにしろ僕はマシンに乗る気にはなれないんで。ホアン(ラスコルツ)は僕らと同じような若者で、僕らと同じ情熱を持っていて…何も起きなかったような振りはできませんよ。」
そう言ってジュリアーノ選手はアッセン次戦で会いましょうと我々に別れを告げた。
テスト終了時、ペデルチーニ・チームのサロム/メルカード両選手と行き会ったが、彼らの話からするとラスコルツ選手の確かな容態については分かっていない。その後、ニコロー・カネパに聞いてみたところ、事故現場にはいまだタイヤの…コースから外れていった跡が残っているのだと。
「『TOSA(下写真7番)』コーナーを出るか出ないかの辺りでアクセルを開き、そこから『PIRADELLA(下写真8番)』の入口までフロントタイヤがアスファルトに全く触れてないんですよ。ただ、転倒の危険がないなら開けっ放しにしておかなければならないんですけどね。」




事故の経緯
パドックから聞こえてくる話によれば、ラスコルツ選手が乗っていたカワサキ機のフロントタイヤは『TOSA』コーナーの出口で浮き始め、その後、ラスコルツ選手が強引に操縦で戻しているようなのだ。そして、マシンは左側へと流れてゆく。ラスコルツ選手がバリア壁まで行き着いたかどうかは分からないのだが、芝を越えてからはコースと並行に走り、とにかく転倒し、そのまま倒れていたのだ。直線コースである故、これまで同ポイントで転倒した者は皆無である。一般的な安全対策について語ることも、イモラサーキットにそれが足りなかったのかどうかを語ることもできるわけだが、今回の事故に関しサーキットの安全面は無関係だろう。同様に救急措置について語るのも無用。迅速かつ有能な措置だったのだから。実際、イモラのマーシャル陣の対応の素晴らしさは世界的にも有名だ(ゲルハルト・ベルガー選手があわや炎上するマシンの中に閉じ込められそうになった事故が記憶に残っている)。また、事故発生が12時54分、そしてヘリコプター出発が14時であることからすれば、すべてが最大限の救急体制で行なわれたことが見て取れる。

『TOSA』『PIRATELLA』両コーナーの間で何が起きたのかは説明しがたい。もしかしたらラスコルツ選手は疲労していたのかも…もしかしたら後4周も走ればもう終わりだと言う気持ちがよぎったのかもしれない。それが誰に分かるだろうか。
頑張れ、ホアン。みんなが君についてるぞ。


(日本語翻訳:La Chirico / 伊語記事:Moto.it 2012年04月03日



マルコ・メランドリ選手のツイートによれば、事故直後のラスコルツ選手にはまだ腕の感覚が多少あったのだとか…。
地元バルセロナの病院で、できる限り快復できることを願ってます。

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