MotoGP

プーチ怒りの反論を公開:ペドロサはシュワンツよりも上

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先日、ケヴィン・シュワンツ氏が、ペドロサ選手のマネージャーを務めるアルベルト・プーチさんの事を批判したって言う1週間ほど前の記事を紹介したばかりなんですが…
なんと!
絶妙のタイミングで、本日、スペイン一般紙にプーチさんからシュワンツ氏に対する反論書簡が公開されました。
新聞に公開書簡が載るのを見るなんて…
離婚前のベルルスコーニ前首相夫人が、新聞紙面上でご亭主の女好きを怒った時以来ですよ、私は…

けっこう長いもんですから、ちょいと説明しながら抜粋していきますね。
え〜と、まず、ソースはこちらです。

(Source:2013年04月27日El Mundo記事より抜粋)

書き出しはですね…
「ケヴィン・シュワンツ氏のダニ・ペドロサについてのコメントでは自分(アルベルト・プーチ)についても触れているのだから、こちらの意見も言っておこう」みたいな事を言いながら、「まずは過去の記録を見てみましょう…」と至極冷静。
非常に淡々とした感じと、文章の長さから既に激しい怒りが感じられます。

《シュワンツ氏が言った『8年間、ペドロサは全く勝って来なかった』と言う言葉を検証してみましょう。まず初めに、現時点まででダニは3タイトル(125ccクラス1回、250ccクラス2回)を獲得しており、一方、シュワンツ氏は1タイトル(500cc)である。私自身も500ccクラスに参戦していた事から、同クラスでのタイトルは非常に重要な物だと言う事に疑いはない。しかし当然の事ながら、ダニが獲得した3タイトルは過小評価すべき事でもない。世界選手権の長い歴史の中、ダニや他の選手らがこれらのクラスでタイトルを獲得してきた。当然、彼らは偉大なチャンピオンであり、クラスの上下等は重要ではない。全選手に敬意が払われるべきである。

ある資料によれば、ダニは世界選手権で45勝を成し遂げ、一方、シュワンツ氏は25勝(ほぼ半分)である。ダニの45勝中、22勝は最高峰クラスでのものだ。また、ダニは113回表彰台に上がっており、うち72回はモトGPクラスでのこと。一方、シュワンツ氏は51回。また最速ラップ記録はダニが55回(うち35回はモトGPクラス)に対し、シュワンツ氏は26回。
記録から言えばダニの方が上回っており、つまり、『8年間、ペドロサは全く勝って来なかった』と言うのは、己の言葉を理解できない、敬意の念に欠く者であると言うことだ。》

そして、ほんのちょっと、一歩だけ引いてみせ…確かにペドロサ選手は最高峰タイトルは取っていないと認めるんですね。でもすぐに、キャリアを通して常に怪我に苦しめられたんだと弁解しながら…
この辺りから昔話の暴露が始まってですね…
満身創痍で奮闘するペドロサ選手に対し、現役当時のシュワンツ氏は《手首を酷く痛め、荷物をまとめて自宅へ帰ってしまった事は覚えていますよ。》とチクリと皮肉り…
そして、《耳が痛いであろう事は承知の上だが、貴方の尊大さが言わせるんだ》と前置きしながら…
あぁぁ〜こ、こ、こんな………………
こんな事、今までシュワンツ本人に誰も言った事がないんじゃないんすかねぇ…

《確かに貴方は(最高峰)タイトルをお持ちだが(86年のデビュー戦から8年目の獲得でしたね)、ただし、ウェイン・レイニーがミザノ戦で事故に見舞われ、同年は欠場となったがためだけに獲得されたのです。そうでなければ、あの年、貴方はタイトルを獲得していなかった。貴方は偉大なライダーであり、素晴らしく見ごたえあるライダーでもあったが、リザルトについて言うならば常に陰に隠れた存在だった。最初はエディ・ローソンの、その後は常にレイニーの陰に。ですから、あまりチャンピオンと自慢しない方が良いでしょう。

ダニに1人で自立して(つまり私なしで)成長すべきとのコメントに関してですが、80年代、90年代の貴方を思い出すならば、若者の多くがヨーロッパや世界を友人や同伴者と一緒に旅する中、貴方は常に親(両親2人とも)が側にいなければ行動しなかった。当時、ああ言うやり方は珍しく、それは、一日中、父親と母親の側から離れない甘えん坊のような印象を与えるものだったからです。
私について言及していた貴方の言葉によれば、側に守ってくれる両親がいないならば、もっとタイトルが取れたと言う事なのでしょうか。良く考えてみて下さい。》

そして最後にですね…
プーチさんは引退後、ペドロサ選手を始めストーナー/エリアス/バウティスタ/マルケス/シモン等のチャンピオンを取った選手らを育成してきたのに対し、現在、シュワンツ氏がテキサスで開校しているライダー・スクールからは未だに欧州選手権へのエントリーが1人もいない事を挙げながら、《貴方はこの分野においては全く成功していない訳です。》と、とどめの一撃…
いや、しかし、まだ終わらないんですな。
ここまでは過去・現在のシュワンツ氏の戦績や成果・行動を並べ上げ、それに対し厳しい評価を下しながら反撃してるわけですが…
ここで、ちょっとシュワンツ氏のライダーとしての素晴らしさを称賛し持ち上げてみたりもするんです…
あっ、でも、すぐに落とすんですけどね。

《1994年のホッケンハイムで、私は貴方やミック・ドゥーハンと共に表彰台に上がれる光栄に浴した。ドゥーハンが早々に前で独走し、私は貴方と2位を賭けて競り合っていた。もちろん、私は負かされました。それは貴方の方が私より遥かに優秀だったからです。ただ、あのレースでは貴方のスズキ機より私のホンダ機の方が速かった事を良く覚えています。私は長い直線コースで貴方のマシンが息切れしたら抜こうと、シケインに辿り着くまで思っていました…しかしあそこで、あのブレーキングポイントで貴方は私を抜き去りました。ゴールまで後数周と言うところで、強いブレーキングで抜かれたのです。あの瞬間、私は貴方を追えないと言う事を理解した。私はヘルメットの中で悪態をつきながらも、こう思いました。「チクショー。凄い選手だ…あんなに遅くブレーキをかけられるなんて。」と。表彰台の上では、貴方に対し敬意と羨望の念を大いに抱きました。レーシングマシンのブレーキをいかに限界でかけるかを教えてくれたばかりの選手に対して、そう言う気持ちを抱いたのです。
ペドロサのような偉大なチャンピオンに対し、また、中排気量クラスでの多くのチャンピオンらに対し、全くもって敬意を欠いた貴方のコメントを読んだ後、あの94年のホッケンハイムで貴方に抱いた敬意の念が完全に霧散してしまったとお伝えするのは悲しい事です。
ケヴィン、当時、貴方は500ccクラスでタイトルを取ったけれど、たとえチャンピオンであっても間違うこともあり、必要とあらば訂正すると言う事ができねばならないでしょう。》


スペイン報道関係者のツイッターなんか、もう、この記事で持ち切りでしてね。
当ブログでもお馴染みのデニス・ノエス御大(ジャーナリスト&ケニー・ノエス父)なんかは…

《アルベルト(プーチ)の回答は適切で当然なものに思われるがね。シュワンツがプーチに対し無駄な攻撃をしかけた理由が分からないよ。》

この後もデニス御大は、
私が知ってる限りでは、シュワンツとプーチの関係って言うのは別に悪くもなければ良くもないんだけどね。》とか、
プーチはテキサスには行ってなかったんだよ。腎臓結石の手術で入院してたんだ。》なんてつぶやいとりますな。
スペイン報道関係者は、けっこうプーチさんの肩を持つ人が多いようで(スペイン人同士って事もあるのかな)…
スペイン『Motocuatro』サイトの編集長なんかは、こんなエピソードまで出しとります。

《以前、ペドロサがモトGPライダーとしての本を出さないかと提案された事がある。写真や統計数字、体験談なんかのね…プーチはビジネスになると見て、(続く)》

《ペドロサを説得しようとしたんだが、ペドロサの返事はこうだった。「アルベルト、まだ僕らは何も勝ってないよ。本の話は勝った時にしよう。」》


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POSTED COMMENT

  1. とあるリッターのSS乗り より:

    確かに、プーチはストーナーも育てましたからね。
    ただ、マルケスを育てたのはアルサモラでは?

  2. より:

    プーチさん言うこと、一々ごもっとも。しかし、過小評価は、お互い様な感じ。
    プーチさん本人認めているように、スズキは、ホンダ・ヤマハに、一歩遅れていた。
    シュワンツの成績が陰に隠れたのは、そのせいが大きい。

    1台体制で、ファクトリーだが、最大規模のホンダ、次ぐヤマハとは比べられない規模のスズキ、他のマシンに乗ればなーと、ファンは思ったものだが、メーカー変えず。そのスズキで、長い手足でタコ踊りしながら、ブレーキングで突っ込んで行く。

    ファンは、痺れたものです。

    しかし、シュワンツは、完全、自分中心だなぁ。
    自分もチビライダーなので判るが、マシンを懐内に出来ないあの身長で、大排気量、ハイパワーマシンを操れる、ペドロサのあの才能は恐るべき事。

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