MotoGP

ケーシー・ストーナー『ドゥカティに裏切られた』

伊サイト『Corriere dello sport』に、こんな見出しが出ましてね…

MotoGp, Stoner: «Tradito dalla Ducati»
(ストーナー “ドゥカティに裏切られた”)


stoner-libro.jpg

あちこち見てみたら、どうやら元ネタはこちらのサイトのようでして…
え〜と、今年の秋頃に出版されたケーシー・ストーナー元選手の自伝本(左写真)
実はイタリアでも、まだ発売されていないんですが…
各サイトの気配を伺うに…まだ出版の予定も立ってない感じですかねぇ。
しかし、そんな中、なかなか興味深い下りを、太っ腹に抜粋してくれております!!



motograndprix-stoner.jpg


★『Foxsports Australia』サイトが公開したケーシー・ストーナー自伝『Pushing The Limits』の一部抜粋を、『Motograndprix』サイトが翻訳した。

《2009年シーズン序盤、僕はかつてない程に速かった。新ドゥカティ機には初期段階特有の問題はあったものの、それも短期間で解決できた。タイトル奪回への自信はあった。しかし、その後、何かが不味い方向へと進み出し…原因は僕には分からなかった。ムジェッロ戦後、僕はかつてなかったような酷い疲労感を感じた。なぜだ…トレーニングもきちんとしたのに…僕には理解できなかった。バルセロナ戦ではウォームアップ後にヘロヘロになり、2時間ほどベッドで休まなければならない程に疲れていた。

その日の午後、体調は悪く、それはTV画面からも見て取れた。5周も走れば急激な疲労感に襲われる。1分間は大丈夫…しかし、その後は急に力が入らなくなるのだ。レースは完走できたものの、パルクフェルメではマシンから降りる事さえほとんど無理だった。歩く事も、話す事もできず、ただひたすら吐きたかった…表彰台では倒れんばかりの状態だったのだ。

2006年に、疲労感を覚える事があり、医師の診察を受けた事があった。当時、僕がやっていたダイエットと、僕のスケジュールの組合せのせいだろうと診断された。それが、2009年の時はかなり深刻な事態になっていた。牛乳や粉末状の乳清をベースにした回復ドリンクを飲み出すと、症状はどんどん悪化していった。皆、理解できなかったし、ドゥカティ内の緊張感も高まっていった。あらゆる種類の医師の診察を受けたし、ヨーロッパやアメリカで想像し得るあらゆるテストを受けてみた。あらゆる説がどっさり出されたものの、快復できるような診断は皆無だった。

ドゥカティ内の不満は僕にも伝わってきたが、ただ、僕の同意なしに僕の症状を公表し始めた時は本当にがっかりさせられた。僕らは一緒にタイトルを勝ち取り、バルセロナ戦までは総合1位で来ていたんだ。ドゥカティからの支えが必要な時に、彼らは僕のトレーニング方法について疑問を呈し始め…しかし、僕に何が起きているのか誰にも分からなかった。

僕がオーストラリアへ帰国すると分かった時(更なる検査と休養のため、ブルノ/インディアナポリス/ミザノ戦を欠場)、ドゥカティは快諾はせず、クラウディオ・ドメニカーリ(ドウヵティ・コルセ代表取締役)からのメールには基本的にこんな事が書かれていた…“こう言う事のために支払いを受けたとは思わないで欲しい”。人生でも一、二を争うぐらい厳しい時期に、自分の雇い主からのサポートが得られないなんて、非常に大きな失望だった。ただ、この問題を根本的にどうにかしなければ、自分のキャリアが終わってしまう可能性がある事は分かっていた。

検査やスキャンの1週間を過ごした。受けなければならない検査のうち2つが(乳糖およびグルテン)3週間のプロセスを要するものだった。食品絡みで起こりえる問題点を特定すべく、厳密な食餌療法を始める必要があった。この時点で、ヨーロッパから僕の症状に関し謂れのない噂が聞こえてくる…この頃、僕はメディアからも、仲間達からも、有名な元ライダー陣からも隔離された状態だったのだ。それぞれ自分の意見と言うものがある。この時、僕は誰が信用できるか、そして誰が信用できないかを理解した。もちろんドゥカティ内には、もはや信用する事のできない人達がいた。

僕がいない間、(ドゥカティは)ホルヘ・ロレンソに2倍の金額のオファーを出していた。僕が2009〜10年の契約書にサインした時には、僕のためにも開発のためにもこれ以上の予算がないと言っていたのに、突然、他の選手のためならあれほどの出費ができると言うのだろうか?僕らが一緒に実現した事を思えば、にわかには信じ難かった。信頼していた人達から騙し討ちにあったような気分だった。その2週間後、僕はまた乳糖を摂ってみたのだが、その夜は酷く具合が悪かった。ベッドから起き上がる事もできず、声も出せず、何日も寝たきりになってしまった。医師らにはどんな症状が出るかを見るためと言われていたが、まさかこんな酷い事になるとは思ってもいなかった。

そして、僕らはヨーロッパへと直行し、身体から乳糖が排出されてしまうと気分が良くなってきた。金曜日にマシンに乗ってみたら、すぐに快復してきた事が分かった…その違いは巨大なものだった。日曜の朝のウォームアップでは最速だったが、レース丸々走ってみるまで自分のコンディションに確信が持てなかった。周回毎にタイムを刻み続け、レース途中で死んでしまうんじゃないかとずっと思っていたが、そんな風にはならなかった。素晴らしい感覚だった…本当に言葉にできない程だった。自分のキャリアは永遠に終わってしまったと思っていたのに、かつてない程の強さで復活できると信じられるようになったのだ。

フィリップアイランド戦に向けオーストラリアに戻る前、もう一度、乳糖を試してみようと言う事になった。これが諸悪の原因かどうかを確認するためだけだった。翌日と翌々日、いつものように身体から力が抜けていったが、ある意味では嬉しかった…遂に問題が何かを突き止めたのだから。一番重要なのはキャリアを潰さずに済んだ事…つまり、2010年のタイトル獲得に向け前向きになれた事だった。

1つだけ自分にとって明白な事があった。僕は会社のためじゃなく、自分や自分のチームのために勝ちたいと言う事だ。ほとんどドゥカティに残留する気持ちだったし…2011〜12年の契約が提示されたが、僕を残留させるにはもっと立派な対応が為されるべきだったと思う。僕は自分の希望を伝え、何ヶ月かの猶予を与えたが、何も起きはしなかった。この時点で、もう終わりだと理解し、2010年の第2レースで(ヘレス)僕はホンダと契約した(そして、そこで2回目のタイトルを取った)。》
(Source:2013年12月23日 Motograndprix記事より抜粋)




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POSTED COMMENT

  1. デカ黒 より:

    基本的にドカファンですが、これが事実であれば今の状態は仕方ないのでしょうね。

    ライダーを大切にしないのはチームとして致命的な問題かと、、、低迷の理由はそこにあったのかもしれません。

    ロッシしかり、、、今となってはストーナーが開発していたモノコックも悪くなかったのかと思えるくらいの体たらく。ジジさんに託すしかないんでしょうね。

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