MotoGP

ロレンソ・インタビュー前半『マルケスは無敵?』


あの、先日、ホルヘ・ロレンソ選手の『ロレンソ激白:マルケス、ロッシ、ペドロサ、ヤマハ契約、ウェットについて…』と言うインタビュー記事をご紹介したんですが…
これって、もともとスペイン『Solo Moto』誌のロングインタビューを、別のスペインサイトが一部転載してたものなんですよ。
そしたら、今度はイタリア大手サイト『Gpone』でも、同じインタビュー記事を転載してましてね。
せっかくですから、前回、ご紹介した部分と重複しない所を抜き出してみました!
あっ、でもね…やっぱり長いもんですから、2回に分けてみました。

『ロレンソ:みんな、マルケスにやっつけられた』

lorenzo-solomoto-gpone.jpg


★スペインの『Solo Moto』誌に掲載されたホルヘ・ロレンソのロングインタビューを転載。

★インタビュアーは元2輪プロライダーのハイメ・アルグエルスアリ・シニア氏(元F1ドライバーのハイメ・アルグエルスアリは息子)。

★ロレンソ選手のインタビュー。

「(2014年の不調について)…カタール開幕戦では、体重もまだ5kgオーバーの状態で…僕のミスですよ…当然ね。どうにかしようと思って、トレーナーも2回替えたんです。完全に計画ミスでしたね。」

【カタール開幕戦と言えば…ロケットスタートを切って、そして転倒…】
「酷かったですよね。FP/予選後、ヤマハライダーの中で最低だって事に気づいたんです。ポル・エスパルガロやブラッドリー・スミス、ヴァレンティーノ・ロッシよりも遅かった。3周も走ればへとへになってしまって…そのうえ、ブリヂストンの新タイヤには上手く合わせられないは…いつもより硬いタイヤで、コーナーでの最大バンク角では高速を維持できないんですよ。それが僕のスタイルだって言うのにね。しかも泣きっ面に蜂と言わんばかりに、エンジンはいつもより落ち着きがなく…新レギュレーションで燃料が減らされたせいでね。」

【それ故に、オール・オア・ナッシング戦法となった…】
「まさしく。先行逃げ切りしかなかったんです。細かく計算したわけではないが、夜間レースでは気温も急激に下がっていくし、2013年よりもタイヤは硬いんですからね。2013年と同じコンディションで走っていたら、あの転倒もなかったでしょう。ただし、2013年のように優勝する事もできなかったでしょうけどね。マルケスやロッシの後ろで、表彰台に上がれてたんじゃないのかなぁ。」

【こうして、散々な1年が始まってしまった…】
「でも、ちゃんと眠れてはいましたよ。僕は、宵っ張りタイプじゃないから。でも日中はずっと、どうやったら戦闘力を戻せるかばかりを考えてました。」

【でも、シーズン序盤中はずっと悩んでいた…】
「そうですね。アメリカでも…テキサス戦でも状況は変わらなかったし。もの凄く力づくのコースなんですよ…だから、スタートラインに着いた時はぴりぴりしていて…実力は発揮できないだろうし、優勝を目指して戦えない事は分かってましたから。そして、たまたま…ヘルメットのバイザーに問題があって(※ハエが入ってきてしまった)、ぼんやりしてしまったんですよね…ふっと集中力が途切れてしまい、ジャンプスタートをしてしまった…それで、ライドスルー処分を受けたんです。ずっと心配もしてたし、不安でした…優勝できない事も分かっていたし、あの状況下では何が起きてもおかしくないと言う事も分かっていたし。バイザーのシールドをはがしながら、いつもの慣れた手順が飛んでしまい…混乱して、レッドライトが見えたように思ったんです。それで、クラッチを放して…ああ言う事になってしまったんです。10位でゴールして…(最初の)2レースで計6ポイントしか稼げなかったわけですよ。」

【右肩上がりのシーズンではあったが…もう、たくさん…】
「ヤマハでは、F1のレッドブルのような状態になってたんですよ。突如としてレギュレーションが変えられ、後退してしまい…燃料の減量にタイヤのせいで、不利な状況になってしまったんです。一方、ホンダの方は進化を遂げ…僕もヴァレンティーノ(ロッシ)も、タイトル獲得を考えられるほどには優勝できなかった。確かに2013年も、うちはホンダにやられてしまったが、でも、自分のミスのせいで総合優勝できなかったんです。オランダ戦とドイツ戦で転倒し、2度とも負傷してしまった。あの事故がなければ、僕はタイトルを取れていたでしょう。確かに、マルケスだってオーストラリア戦でミスをして、1周遅れでマシン交換してしまったが…でも、アッセンでの鎖骨骨折がなければ、僕が総合優勝できていたでしょうね。2013年の僕ら2人の違いは…運だったのでしょ。マルケスは15回も転倒してケガはなし…僕はたった2回なのに、2回とも骨折。2013年の僕は、1番バランスの取れている選手だったんです…僕は絶好調だったし、マルケスは経験も浅かったし。」

【マルケス選手は無敵?】
ライカールトが監督だった頃のFCバルセロナの事を考えてみて下さい…ロナウジーニョでタイトルを取った時の事です。あの時代を越える事など不可能と思われていたのに、その後、グアルディオラが指揮を取り、5回タイトルを取ってるでしょ。2輪レースだって、同じ事が起きるかもしれない。だから、無敵とは言えないでしょう。マヌエル・ポッジャーリと言うライダーがいたじゃないですか…125ccクラスで総合優勝し、それから250ccクラスでもしてますよね。そして、その後、表舞台から去ってしまった。それに、かのフレディ・スペンサーも…1983年にケニー・ロバーツを引退させ、1985年には250ccと500ccクラスで同時にタイトルを取り…そして、引退してるでしょ。同じ事がマルケスに起きると言っている訳ではないが、物事は変っていくし、それを予測する事はできないでしょ。マルケスがモトGPタイトルを2年連続取ったのだから、あと5回取れると保証はできないと言う事です。」

[ 後編に続く ]

2014年12月28日Gpone記事参照)



[amazonjs asin=”4865430105″ locale=”JP” title=”神伝禊法 – 新時代の霊的トレーニング (MyISBN – デザインエッグ社)”]

禊クリックPrego > 人気ブログランキングへ

COMMENT

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

 

ITATWAGP | イタたわGP