『ガードナー:日本メーカーの仕事の仕方って言うのは…』
★ワイン・ガードナー(65才、オーストラリア出身)は、1983年よりホンダ機で最高峰クラスへのスポット参戦を始めた(※当時は500ccクラス)。
1985年よりフル参戦となり、1987年にタイトルを獲得した。現在、ヤマハ機でSBK参戦しているレミー・ガードナーは息子である。
★先日、ガードナー元選手が西サイト『Motosan』のインタビューで次のように話した。
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【ドゥカティ天下は、まだまだ続きそう…?】
「全体的に見れば、アプリリアとKTMがドゥカティの足並みについていってるようだが…まぁ、リザルト的にはまだ引き離されてますけどね。
とは言え、ホンダやヤマハほど大きく引き離されてはいないわけだから。
日本メーカーってのはねぇ…私が所属してた頃もそうだったが、なかなか変化に対応できないようなんですよ。
ただ眺めてるだけって感じで…あらゆる可能性を検討してみたりはしないんですよ。」
【日本メーカーの作業の進め方について、説明してくれる?】
「かなり前から同じ感じで…毎年、マシンを1台作っては、その後、少しづつ少しづつ改良してくんですよ。ホンダでの私の経験だと、そんな感じでしたね。
当時の経験から学んだことと言えば、(日本サイドに)マシンを変えるよう説得するのは至難の業だってことですよ…違うフレームを作ってみようとか、エンジンを変えようとか、そう言うことなんですけどね。
トラの歯を抜くぐらい難しいんだから…とにかく、先に向けての投資とか、規則をフル活用するとか…そう言うことをしたがらなかったですねぇ。
日本人の流儀ってことなんだろうけど、でも、そうやって取り残されてしまったことに今は気づいてるんですよ。
今後は(日本人も)適応していかないと…今は多くのエンジニアを…特にヨーロッパ出身のエンジニアを取り入れてるじゃないですか。彼らなら、他メーカーのやり方に精通してるわけだからね。」
[ 完 ]
参照サイト:『Moto.it』)
(参照サイト:『Mowmag.com』)
(Photo:Instagram)
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