モトGP『シッチとの別離は、ただただ拍手で』
大きな拍手、溢れでる涙。
マルコ・シモンチェッリの葬儀に参列しようと、大勢の人々が波のように押し寄せた。
シッチの生まれ故郷コリアーノの町に最後の別れを告げようと多くの人々が詰めかけ、父パオロさんや母ロッセッラさん、妹マルティーナさん、婚約者ケイトさんらの周りを、ヴァレンティーノ・ロッシからホルヘ・ロレンソら多くが囲んだ。
教会内では棺の両脇にホンダのモトGP機、ジレーラの250cc機が置かれ、葬儀終了後、外ではヴァスコ・ロッシの名曲が鳴り響いた。
霊安所には2万人が来訪
公営劇場に設えられた霊安所には、マルコ・シモンチェッリ選手へ別れを告げようと約2万人が訪れた。
本来ならば夜10時には閉館しなければならなかったのだが、あまりに長い行列となっていたため、結局、深夜2時半まで開放されることとなった。また、早朝6時より人々が列を作り始めたため、8時半〜9時の間、一時的に開館される一幕もあった。
2台のマシン
サンタ・マリア・アッスンタ教会の正面広場には、マルコ・シモンチェッリの最後の旅立ちに付き添うべく2台のマシンが用意されていた。1台は2008年に総合優勝を決めたジレーナ250cc機、もう1台は、あの悲劇のセパン戦で最後まで乗っていたホンダのモトGP機。
家族だけの別離
霊安所では、最後に棺が閉じられる前に30分ほど閉館し、家族やごく近しい人々だけでの別離の時が設けられた。そこにはローリス・カピロッシの姿もあったと言う。
午後3時からの葬儀に向け、外に出た際には、参列のために集まってきていた大勢の人々から嵐のような拍手が沸き起こり、父パオロさんが投げキッスでこれに応えた。
ナポリターノ大統領も生中継で参列
イタリア共和国大統領ジョルジオ・ナポリターノもまた、マルコ・シモンチェッリの葬儀の様子を生でずっと見ていた。『スーパー・シッチ』と最後の別れができるよう、事前に大統領邸との間に中継設備が設置されていたのだ。
スペインのマスコミ陣も大挙
スペインからも記者らが大勢詰めかけていた。かつて、シモンチェッリとバルベラの間に、またバウティスタとの間にもいさかいがあったことを思えば、特異な光景であった。
ミザノ・サーキットにもファン集団が
ミザノ・サーキットには2台の巨大スクリーンが設置され、ファンらがシッチの葬儀に参列できるようにしていた。約1万人のファンが集ていた。
ロレンソ、カピロッシらもミサに参列
ヴァレンティーノ・ロッシを筆頭に教会内には大勢の選手らが参列し、他にはホルヘ・ロレンソ、ローリス・カピロッシ、青山博一(シッチのチームメイト)、アンドレア・ドヴィツィオーゾ、セテ・ジベルナウ、マッティア・パジーニ、アンドレア・イアンノーネ、ラッファエレ・デ・ローザ、マヌエル・ポッジャーリ、ランディ・ド・プニエらの姿が見られた。また、ジャコモ・アゴスティーニ、ファウスト・グレジーニも参列。ドゥカティのチーフエンジニア、フィリッポ・プレツィオージも駆けつけて来ていた。
メローニ大臣も参列
ローマよりジョルジア・メローニ若年層政策担当大臣も葬儀に駆けつけていた。スポーツ省のロッコ・クリミ次官が同行していた。
棺が教会に到着
マルコが所属していたチーム・グレジーニのスタッフらが先導し、メカニックらが担ぐ棺が教会に到着。ミニモトチームの少年達がライダースーツ姿にヘルメットを小脇に抱えながら、シモンチェッリ選手の背番号『58』をかたどった風船を空に放つと、長い長い拍手が沸き起こった。
ミサが始まる
シッチにとっては意義深い2台のマシンに挟まれて棺が置かれる。1台は2008年に総合優勝を決めたジレーラ250cc機、もう1台は最後まで乗っていたホンダのモトGP機。
リミニ市のフランチェスコ・リンビアージ司教が葬儀のミサを始める。
司教『言葉がなかなか見つからない』
リンビアージ司教は開口一番にこう言った。
「想いがこうも絡み合う中で、適当な言葉はなかなか見つからないものです。ただ、私が見かけた垂れ幕の一文をここにご紹介したい。『マルコは今、天使らにウィリーのやり方を教授している』と言うものです。マルコのご家族は皆からの抱擁が、多くの祈りがふさわしい人々です。マルコと友人になることなくとも、私には彼の善良さが分かりました。もちろん、もし友人になれていたら、素晴らしいことだったんですが。我らが友がもはや生くる者にあらず時、より生を全うしているのです。」
『神はセパンで彼と共にあった』
リンビアージ司教は言葉を続ける。
「なぜマルコは死なねばならなかったのか…を私も考えてみました。そして、マルコにイエスを重ね合わせてみています。つまり、彼は死の宣告を受けたのではなく、救済されたのだと。あの死の瞬間、神はどこにおられたのか?天への道を示すため、あの場におられたのです。」
『そして今、空から私達を見つめている』
葬儀のミサは次の言葉で締めくくられた。
「最後のレースの前夜、表彰台の一番高い所に上がるために優勝したいのだと言っていましたね。一番、見栄えのする所だからと。しかし、今や最も高い表彰台に上がったマルコが、私達のことを見下ろしているのですね。マルコ、最後の言葉を送ります。アッディオ。痛みが2つに分け、そして、希望がまた1つにした言葉…『A DIO(神の元へ)』。」
ミザノ・サーキットへも大勢のファンが
ミザノに据えられた巨大スクリーンでシモンチェッリ選手の葬儀に参列できるようになっていたのだが、午後3時には千人以上ものファンが詰めかけていた。そのほとんどはバイクに乗ってやって来た。
葬儀ミサ終了
葬儀のミサが終了する直前、リンビアージ司教により棺の周りに香が薫きしめられ、終了と共に大きな拍手が沸き上がった。これから棺はチェゼーナの墓地へと運ばれ、埋葬されることとなる。
ロレンソがマルコの父パオロを抱擁
葬儀が終わると、ホルヘ・ロレンソがシモンチェッリ選手の父パオロさんを固く抱擁すると言う感動的な光景が見られた。今シーズン、ロレンソ選手とシモンチェッリ選手の間には厳しいやりとりが交わされ、ロレンソ選手が「危険なオーバテイク」と非難する一幕もあったのだ。
棺が教会の外へと移される
マルコの棺が教会の正面広場に置かれると、本人が大好きだったヴァスコ・ロッシの名曲『Siamo solo noi(僕らだけしかいない)』が流れ出した。母ロッセッラさん(ヴァレンティーノ・ロッシを抱きしめながら)と父パオロさんが、感極まった…しかし、穏やかな様子で棺をじっと見つめる。妹マルティーナさんは、恋人ケイトさんと抱き合っていた。
母ロッセッラさんがロッシを抱きしめる
教会の前、息子マルコの棺を前にして立つヴァレンティーノ・ロッシのウエスト辺りを、母ロッセッラさんが後ろから片手で抱きしめていた。一方、父パオロさんは棺の前の地面に腰を下ろし、妹マルティーナさんと恋人ケイトさんが固く抱きしめ合っていた。
婚約者ケイト『完璧な人間だった』
「皆さんに、日曜の夜の出来事をお話したいと思います。最後に二人でヴァカンスを過ごした時に知り合った青年に、あの夜、私は偶然に再会しました。私は彼に“あなたは熱心なカトリック教徒?”と聞くと、彼は“そうだ。”と。私は形だけの信者なので、“じゃ、一体どうしてマルコは天に召されてしまったのかしら?”と聞いたら、“それは、地上での使命を終えた者は神に召されるからだよ。”と。
私にも私なりの理屈があります。マルコは完璧な人間でした。そして、完璧な人間は私達のような肉体を持った普通の人間と共に生きることはできないんです。」
シモンチェッリ選手の婚約者ケイトさんが、今は亡きマルコを偲んで言った言葉である。
コスタ医師『マルコは我々と共に帰宅する』
「棺の中から見える顔は微笑んでいて、これは最後のジョークなんだって言っています。今夜、僕は君らと一緒に家に帰るんだって。パオロさんと、ロッセッラさんと、マルティーナさんと、そして、ケイトさんと。」
クラウディオ・コスタ医師は、こんな風にマルコへの想いを語った。
「一番肝心なのは、マルコが、ここに居る皆さんと一緒に家に帰ると言うことです。それは今日、マルコが成し遂げた奇跡であり、我々みんなを一つにし、皆さんの心の中で皆さんを一つにしたのです。」
そして、こんな風に締めくくった。
「今日、マルコ・シモンチェッリの死に対し勝利が祝われたのです。」
棺は墓地へと
交通警察のパトカーや白バイ、国家警察のオートバイ、州警察に護衛されながら、マルコ・シモンチェッリの棺が教会を後にした。これからリミニの墓地に埋葬されることとなる。ここにも最後の別れをしようと大勢が詰めかけている。
2万5千〜3万人が参列
シモンチェッリ家族の友人ピエールジョルジョ・オリヴィエーリさんが、このコリアーノと言う小さな町でマルコの葬儀を行なえるよう短時間のうちに手配したのだ。
「参列者は2万5千〜3万人だったと見ています。霊安所での2日間と、コリアーノの町へ来られなかった人もいれてね。ミザノ・サーキットからそう遠くない所に、巨大スクリーンを設置しておきましたしね。」
(日本語翻訳:La Chirico / 伊語記事:Sport MEDIASET 2011年10月27日)
イタリアでは27日夜にシッチの特集番組があったのですが、婚約者のケイトさんがこんな風に言ってました。
「私達は絶対に別れないって言ってたくせに、嘘でした。
みんな、“まだ若いんだから大丈夫だよ。(立ち直るのは)簡単だよ”って言うけど、
もし今、私がお婆さんだったらすぐに会いに行けるのに。でも、これから何十年もあるんです…。」
また、シモンチェッリ選手の葬儀の模様を実況ツィートしておりますので
よろしければ、私のTLの方もご覧になってみてください。
マルコ・シモンチェッリ選手のご冥福を心よりお祈り申し上げます。
日本でもライブストリームで見られました。
私は気づくのが遅かったので、生では少ししか見られませんでしたが。
イタリアでのMotoGP人気を再認識すると共に
多くの人に愛されていたんだなと思いました。
あのモジャ頭を見られなくなると思うと寂しいです。
日本の葬儀と違い、
悲しみよりも旅立ちが強調されている感じでした。
イタリア解説のメイダ氏お決まりの
「最後にこれを言わせて下さい。シモンチェリが来た!シモンチェリが来た!」
も最高でした。
詳細をありがとうございます。
ライブストリームは仕事中で見れませんでしたが、この記事で十分雰囲気がわかりました。
どこよりも早い長文の情報をありがとうございます。こちらのブログを見た後で Gazzetta TV で葬儀の動画
http://video.gazzetta.it/motori/motomondiale/index.shtml を見れたので内容が良く分かりました。チャオ、シモンチェリ。
遠く離れた日本にいれば、嘘でしょ。 しばらくすれば、また現れて、最終戦ものぶいぶいいわしてのってるでしょ。そんな現実逃避もありこわくてここ数日ネットも避けていました。・・・・・・・・・・あー現実なんだ・・・・・・・・・彼をなくして、寂しい・悲しいと感じているみなさん。 スーパーシッチの為にも 一生懸命生きましょう。
マルコ・シモンチェッリ選手のご冥福を心よりお祈り申し上げます。