MotoGP

ペドロサ&ロレンソ初対談『僕ら大人になったなぁ』− 前編 −

モトGP『あんなにピリピリする必要はなかった』




互いに顔をみ合わせる。手を取り、肩を叩き合い、腰を下ろして世界について、そしてオートバイについて語り合う。『El Pais』紙の招きに応じて会話を楽しむ姿は、2〜3年前ならばあり得なかった光景だ。
昨日の予選でストーナー選手を破りポールポジションを獲得したホルヘ・ロレンソ(1987年、パルマ・デ・マジョルカ出身)。そして、7位と…あのヨットライセンス取得試験カンニング事件での逮捕後としては妥当な成績のダニ・ペドロサ(1985年、サバデル出身)は、
「間違いを犯したことについてはもう謝罪しましたから、今は前に進んでゆきたいです。」と言う。
その2人がかつて繰り広げてきた死闘を水に流し、今は共に同じ夢を分かち合っているのだ…世界チャンピオンと言う夢を。

エル・パイス紙:どんな子供時代でしたか?

ペドロサ:今とあまり変わらないけれど、やっぱり、今よりもっと夢を見てましたね。そう言う意味では子供の頃が懐かしいかな。夢見て、レースに出て、それだけでしたから。

ロレンソ:自分は、今はずいぶん大人になりましたね。競争心や野心が強いのはずっとそのままだけど、負けを認められるようになったし、腹が立っても長くは続かなくなりました。11歳の頃はね、泣くは、叫ぶは、ヘルメットを投げつけるは…。今は物事を色々な角度から見られるようになりました。

ペドロサ:僕らってスペイン選手権で知り合ったんだよねぇ?2000年に。

ロレンソ:でも、お互い挨拶も何もなかったよね…。

ペドロサ:いや、初めて一緒にレースをしたって言う話だよ。

ロレンソ:実際、僕らが初めて知り合ったのは僕が『Apriliaカップ』で走っていて、ダニが『Movistarカップ』で走ってた時だよ。1999年だった。

ペドロサ:あんまり良く覚えてないんだよね…一緒に走るようになって2〜3年経つまでお互い口をきかなかったし。それほど意見も合わなかったしね…。

ロレンソ:なかったね、2008年まで。モトGPクラスでね…国王陛下の一件があるまではね…(スペイン国王が表彰台で2人を握手させた)。

ペドロサ:あの瞬間は僕も君も…いや、君がどう思ってたかは何とも言えないけど…ああ言うことになるとは思ってなかったよね?国王陛下は心から僕らに思慮分別を示そうとして下さってね。無理強いすることってできないと思うんだよね。まず、納得しないと。でも、あれは良かったよ。僕らに何かを分からせようとして下さっていたし、今は感謝しているんだ。

ロレンソ:あの時は“なんでこんなことするわけ?”って思ったんだよねぇ。僕らを仲直りさせようと誰かに仕向けたからなのか、それともスペイン人スポーツ選手2人が上手くいっていた方が良いって本当に信じてああ言うことをやられたのか…ずっと分からなかったんだよ。最終的には、あれは正しいことだったんだって気がついたんだけど。同じ国出身で、同じ目標に向かっているスポーツ選手が2人、仲が悪いなんてのは良くないって。友達になる必要はないけど、穏やかな関係を保つ分には良いじゃない。色々と分かち合ったりとかね。

ペドロサ:具体的にいつから“もう敵対する気はない”って互いに思ったの分からないんだけど。そうなったんだよね。確かに、あの日以来、少しずつピリピリした感じはなくなっていってたけどね。多分、人は大人になってゆくものなんだろうねぇ。確かに、あんなピリピリした関係である必要はなかったしね。

ロレンソ:アルベルト(プーチ、ペドロサ選手のマネージャー)と、昔、僕のマネージャーだったアマトリアインの間にも敵対心があったね。そのせいで僕らも同じ風になってしまって。僕が新しいマネージャーに代えた時、関係も少し良くなったでしょ。

[ 中編に続く ]


(日本語翻訳:La Chirico / 西語記事: El Pais 2012年04月07日



今回のカタール戦でも、こんなツーショットが出てましたぞ!


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