『2014茂木GPこぼれ話』
★アレイシ・エスパルガロがヤマハ・オープン機を捨て、スズキに移籍する理由を次のように説明した。
「僕はスズキを選んだのは、選手は皆、ファクトリーチームに入りたがるものだし、2016年にはメーカーがバックについていてくれるって事が更に重要になるでしょう…レギュレーションがどっさり変更になりますから。2015年は今年ほど上手くはできないだろうって事は覚悟してます。でも、早々に良いレベルにまで達せられる可能性もあるし。」
★マーヴェリック・ヴィニャーレスがスズキに移籍する理由を次のように説明した。
「僕にとっては逃してはならないチャンスでしたから。モト2クラスで1年間走れて、とても良かったです…今後、大きな助けになってくれると思うんですよ。特に、レース中盤以降のリアタイヤのコントロールなんかに対してね。」
★茂木コースはブレーキング地点がきつく、ディスクブレーキも340mmの使用が義務づけられている。激しいハードブレーキングにより選手らの腕の疲労も激しく、今回はモバイル・クリニックが大忙しだった。
ミケーレ・ザザ医師(モバイル・クリニック代表)のコメント。
「こことヘレスのコースは腕上がりの症状には最悪ですね。理学療法が必要な選手がどっさりいたんですが…中には筋肉をほぐすのに錠剤を処方した選手もいました。」
★エミリオ・アルサモーラ(マルク・マルケスの個人マネージャー)が、先のSBKマニクール戦でチームオーダーを拒否したマルコ・メランドリ選手を擁護した。
アルサモーラ氏のコメント。
「メランドリはレース2で優勝し、素晴らしい行いでしたよ。レース1でチームメイトのシルヴァン・ギュントーリに譲ったのに、大して感謝もされなかったでしょ…まるで自力で優勝したみたいに大喜びしてね。だからメランドリもレース2で、“自分で何とかしろよ”って思ったんじゃないんですか。僕も同じ事をするなぁ。」
なお、アルサモーラ氏が1999年アルゼンチン戦125ccクラスで総合優勝を決めた際、メランドリ選手は宿敵だった。
(2014年10月14日Moto.it記事参照)
★茂木戦FP3で事故が起きた際、ヒロシ・アオヤマ(チーム・アスパー)のマーシャルへの対応が適切ではなかったとし、レース・ディレクションより危険ライセンスに1ポイント科せられた事が発表された。
アオヤマ選手はスリップ転倒後、マシンを回収しようとした際、事故現場に居合わせていたマーシャルの片腕を叩いたとの事。同選手は事実を認めており、異議申し立てはしない。なお、同選手は現在、2015年シートを探している最中である。
(2014年10月11日Omnicorse.it記事参照)
★2015年よりモトGPに復帰するスズキが、今回の茂木GPで(10月12日)、GSX-RR 2015機(プロトタイプ、1000cc並列4気筒)を披露した。
今回、マシンを走らせたのはスズキの伝説ライダーことケヴィン・シュワンツ(1993年500cc総合優勝、ここ2年間は鈴鹿8耐に参戦)と、フランコ・ウンチーニ(1982年500cc総合優勝、現在はFIMのセーフティ部門代表)。
シュワンツ元選手は既に4月中旬、オースティン・テストの際に同機に試乗しており、今回は同機の最終決定版に乗った。また、ウンチーニ元選手は2011年に参戦していた最後のスズキ機(GSV-R)を走らせた。
(2014年10月13日Motoblog.it記事参照)
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