MotoGP

富沢選手、死亡時刻改ざんの謎

引き続き、9月5日、イタリアで開催されていたオートバイレース世界選手権モト2クラスのレース中に亡くなった富沢祥也選手の続報です。
なお現在、同事故関連の記事掲載が集中しておりますが、通常のブログ形態に戻るまで今しばらくお待ちください。

ミザノ 『富沢選手、十度死す』

富沢祥也選手の死亡事故が論議の的となっている。
事故に関する捜査命令が下され、遺体には解剖が付されることとなったのだが、ロードレース世界選手権を運営するドルナ・スポーツ社の対応に納得できない点があるのだ。
死亡時刻に関する疑惑。
富沢選手はミザノ・サーキットから搬送される以前に亡くなっていたと推測できる要素が、数多く残っているのである。
おそらく、あの事故には不運以外の何かがあったのではないだろうか。
レースは中止できた(すべきだった?)のではないだろうか。

富沢選手が亡くなったのは、本当に事故後だったのか?
事故発生は12時36分。死亡が確認されたのが14時19分。
しかし、富沢選手は即死だったのではと考える者が多い。救急車に同乗していた者が「少なくとも10回は亡くなってますよ。」と明かしており、また、リッチョーネの病院に搬送される前から、富沢選手は顔までシーツで覆われていたと断言する者もいるのだ。
ドルナ・スポーツ社のカルメロ・エスペラータ社長は13時15分に、富沢選手は重体だが生きていると明言していた。しかし、次のように明かした選手もいる。
「僕達は全員、13時には亡くなっていたことを知っていました。(ドルナ社の方では)事実を伏せておきたかったんです。」

ドルナ社からの公表では、なぜ死亡時刻が間違っていたのか?
14時35分にプレスルームに届いた書面には、富沢選手は9月6日に死亡したと明記されていた。5日ではなくだ。
ただの誤植ではない。ドルナ社は慌てて書面をプリントしたのだ。なぜならば、その少し前にクラウディオ・コスタ医師(モバイル・クリニックの運営医)により死亡が公表されてしまったから。
不意をつかれたドルナ社は日付と時間を書き間違えた(14時19分のところを14時20分と記されていた)。おそらく、ドルナ社では公表を延ばすつもりでいたのだろう。インディアナポリスで起きたピーター・レンツ君の事故同様に。
それは、まず家族への連絡を優先するためだったのか、それとも、レースを続行させるためだったのか?

富沢選手がどこで亡くなったかと言う事実が、なぜ重要な要素になるのか?
それは重要なことなのだ。もしも、富沢選手がサーキット内で死亡したことが確認されたならば、レースは中断されなければならないのだから(また、モトGPに関しては中止となるだろう)。そして、富沢選手がリッチョーネの病院で死亡したと公表したことにより、興行的な損失は生じなかったのである。
モトGPの表彰式でシャンパンシャワーを取りやめたの正しかった(が、モト2の表彰式では行われていた)。
今回の事故は、フォーミュラ1のアイルトン・セナ選手のそれに良く似ている(1994年にイモラ・サーキットで死去)。セナ選手の事故も今回のようにイタリアで起き、やはり同様に死亡したのはコース上ではなく病院でだったと公表された。その後のスケジュールに変更が生じないようにされたのだった。

富沢選手の事故は不運な悲劇にすぎなかったのか、それとも、死を回避することは可能だったのか?
今回の事故は、富沢選手のミスにより偶発的に起きたものである。サーキットも救急医療班も、モト2も無関係だ。後続車による轢死は不可避であった。
そして、それと同時に2つの重要点があげられる。
1つはモト2クラスと言うのが開設されたばかりのカテゴリーで、参戦台数があまりにも多いと言うこと。サーキットの参加台数上限が30台のところに、現在、40台が参戦しているのだ。
2つ目はスケジュールの組み方が尋常ではないと言うこと(ドルナ社の要望によるもの)。1ヶ月の間まったくレースが行われなかったと思えば、その後の1ヶ月で3レース立て続けに開催されたりもする。ミザノGPはインディアナポリスGPの1週間後に行われ、選手達は疲労し、終わりのない空の旅と時差ぼけに振り回されていた。

レース中断は本当に不可能だったのか?
不可能だった。はっきりとした意向があったのだ。
モト2のレースは中断されなかった。なぜならば、ドルナ社いわく、コース上に障害物はなく、富沢選手の救命措置は誰に危険を与えることなく行われえたからだ。
しかしながら、しばらくの間、救急車は発進しなかった(少なくとも6〜7ラップ走行間)。
それは、富沢選手が緊急救命措置を受けていたからなのか、それとも、もはや手の施しようがなかったからなのか?
モトGPに関して言うならば、14時にスタートが切られ、中止については誰からも検討されなかった。(富沢選手の死を)知っていた選手らからも、その他の関係者からもだ。
レース中断は、倫理的に見て正しい措置となっただろう。たとえ、具体的な意味では『無意味』であったとしてもだ。
そして、ドルナ社に対する、選手やその関係者らにとって全くもって不都合な事柄に対する、公の場での批判となっていただろうに。

(日本語翻訳:La Chirico / 伊語記事:La Stampa 2010年9月7日

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POSTED COMMENT

  1. machcat より:

    あくまで私の私見であって憶測で書きますが、死亡時刻が14:20になった理由はMotoGPの開始を確定的にするためだと思いますね。 MotoGPを長く見てますが、ロレンソも言ってる様に事故を見た瞬間にかなり危険な状況である事は容易に想像がつきましたから。

    赤旗中断に関してですが、富沢さんの事故は体がコース外ではなくコース上にあった訳で、いくらバリケードを張った所で転倒等による2次被害も起こる事もありえる訳ですから赤旗を躊躇する理由は全くもって見当たりません。 救急車の中は狭いからその場で救命措置をする方が良かったとも言ってましたが、救命装備すら限られてる状態なら赤旗でコースをクリアにして救急車等を入れて設備的にも充実さるべきだったと思います。

    レース数が多すぎる事やMoto2の参加人数も確かに問題だと思う。 ドルナ的には多くのマシンがコース上に出る事が重要だとは思うけれど、F1でも合った様に予備予選で決勝台数を削るなりの方法がある訳で、トラック上の許容台数を超えるマシンが走る状況は改善しなければならないと思う。

    富沢さんの事故はモーターレースの悲劇ではあるけれど、それを悲劇というだけで終わらせたらまた同じ事が起こる。 一番大事な事はその悲劇から大事な物を学び同じ悲劇を繰り返さない事だと思う。

    モーターレースは危険な物。 アゴスチチーニの言葉は正しい。 でもそれは命を賭けるショーじゃないと俺は思います。 

  2. machcat より:

    あくまで私の私見であって憶測で書きますが、死亡時刻が14:20になった理由はMotoGPの開始を確定的にするためだと思いますね。 MotoGPを長く見てますが、ロレンソも言ってる様に事故を見た瞬間にかなり危険な状況である事は容易に想像がつきましたから。

    赤旗中断に関してですが、富沢さんの事故は体がコース外ではなくコース上にあった訳で、いくらバリケードを張った所で転倒等による2次被害も起こる事もありえる訳ですから赤旗を躊躇する理由は全くもって見当たりません。 救急車の中は狭いからその場で救命措置をする方が良かったとも言ってましたが、救命装備すら限られてる状態なら赤旗でコースをクリアにして救急車等を入れて設備的にも充実さるべきだったと思います。

    レース数が多すぎる事やMoto2の参加人数も確かに問題だと思う。 ドルナ的には多くのマシンがコース上に出る事が重要だとは思うけれど、F1でも合った様に予備予選で決勝台数を削るなりの方法がある訳で、トラック上の許容台数を超えるマシンが走る状況は改善しなければならないと思う。

    富沢さんの事故はモーターレースの悲劇ではあるけれど、それを悲劇というだけで終わらせたらまた同じ事が起こる。 一番大事な事はその悲劇から大事な物を学び同じ悲劇を繰り返さない事だと思う。

    モーターレースは危険な物。 アゴスチチーニの言葉は正しい。 でもそれは命を賭けるショーじゃないと俺は思います。 

  3. Seiji より:

    私は(4輪ですが)レーシングメカニックを生業としている者です。生では見ていなかったのですが、翌日の新聞で事故を知りすごいショックを受けました。
    自分自身でも何度か死亡事故は経験していますが、あの独特の時間が止まってしまうような感覚を思い出していまい、胸が苦しくなりました。4輪の世界では安全性の向上のためにさまざまなことが現在も検討され、実行されていますが、2輪のレースほどではないにせよ、危険なことを行なっているのを、もう一度思い出さないといけないと感じました。
    Moto2のレース運営のやり方についていろいろ批判が出ているようですが、(個人的な見解ですが)やはり赤旗で一度レースをとめるべきだったと思います。(Moto2はこのまま中止とする)やはり主催者はライダーを(そこにいる全ての者を) 守る必要があると思います。そしてそのことをサーキットにいる人々に見せないといけなかったのではなかったのでしょうか。
    そして事実を伝えたうえでMotoGPをスタートさせるのが一番良かったと考えます。
    日本のレースでも同じようなことがありましたが、メインレース後に現場検証を行なっています。
    興行としてのレースが大事なのはよく理解できるのですが、実際に走るライダーの(もちろんお客様の)信頼を失わない方法を考えるべきだったと思います。
    長文失礼いたしました。

  4. Seiji より:

    私は(4輪ですが)レーシングメカニックを生業としている者です。生では見ていなかったのですが、翌日の新聞で事故を知りすごいショックを受けました。
    自分自身でも何度か死亡事故は経験していますが、あの独特の時間が止まってしまうような感覚を思い出していまい、胸が苦しくなりました。4輪の世界では安全性の向上のためにさまざまなことが現在も検討され、実行されていますが、2輪のレースほどではないにせよ、危険なことを行なっているのを、もう一度思い出さないといけないと感じました。
    Moto2のレース運営のやり方についていろいろ批判が出ているようですが、(個人的な見解ですが)やはり赤旗で一度レースをとめるべきだったと思います。(Moto2はこのまま中止とする)やはり主催者はライダーを(そこにいる全ての者を) 守る必要があると思います。そしてそのことをサーキットにいる人々に見せないといけなかったのではなかったのでしょうか。
    そして事実を伝えたうえでMotoGPをスタートさせるのが一番良かったと考えます。
    日本のレースでも同じようなことがありましたが、メインレース後に現場検証を行なっています。
    興行としてのレースが大事なのはよく理解できるのですが、実際に走るライダーの(もちろんお客様の)信頼を失わない方法を考えるべきだったと思います。
    長文失礼いたしました。

  5. chirico より:

    machcatさん、コメントありがとうございます。

    最新記事『富沢選手、検死が明かす真実』の末尾の方に掲載した通り、結局、伊オートバイ協会の方では、赤旗云々については何ら落ち度はなかったと言う見解を公表しております。

    せめて、イタリア人に良くある『相手には絶対に悪かったと直接は認めないけど、心の中では反省している』と言う方向に向かってくれればと願ってます。

  6. chirico より:

    machcatさん、コメントありがとうございます。

    最新記事『富沢選手、検死が明かす真実』の末尾の方に掲載した通り、結局、伊オートバイ協会の方では、赤旗云々については何ら落ち度はなかったと言う見解を公表しております。

    せめて、イタリア人に良くある『相手には絶対に悪かったと直接は認めないけど、心の中では反省している』と言う方向に向かってくれればと願ってます。

  7. chirico より:

    Seiji様、コメントをありがとうございます。

    実は、事故当日のイタリアTV解説で元ライダーのローリス・レッジャーニ氏が、
    「物事は常に花形のモトGPを中心に回っている。これがモトGPの事故だったなら、すぐに赤旗中断されていたのに…」と言うような本音をもらし、別の解説者に押しとどめられると言う一コマがありました。

    興行として本音と建前はあるのは当然ですが、やはり今回は『無情すぎ』ました。
    残念に思います。

  8. chirico より:

    Seiji様、コメントをありがとうございます。

    実は、事故当日のイタリアTV解説で元ライダーのローリス・レッジャーニ氏が、
    「物事は常に花形のモトGPを中心に回っている。これがモトGPの事故だったなら、すぐに赤旗中断されていたのに…」と言うような本音をもらし、別の解説者に押しとどめられると言う一コマがありました。

    興行として本音と建前はあるのは当然ですが、やはり今回は『無情すぎ』ました。
    残念に思います。

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