Moto2 category

富沢祥也、最期の微笑み

オーロバイレースで負傷した選手達の応急処置を担当する移動診療所、
Clinica Mobile(クリニカ・モバイル or モバイル・クリニック)
9月5日にモト2レース中の事故で亡くなった富沢祥也選手に最期まで付き添われていたのも、このクリニカ・モバイルの医師でした。
本日は、そのクリニカ・モバイルの公式サイトに掲載されていた記事をご紹介します。

ミザノ 『あの笑顔、永遠に忘れない』

富沢祥也、日本人ライダー、19才。モト2クラスのレース中に転倒、後続車に激しく轢かれる。

事故現場での救命作業は大急ぎで、ミザノサーキット内の医療センター蘇生室へと移された。医師らによる蘇生措置が行われたのだ。
そこでの希望が消えかけると、誰かの胸の中に別の希望の光が灯った。
本物の、理屈では説明できない奇跡に根付いた希望だった。

その希望に後押しされ、祥也はリッチョーネ市内の病院へと搬送される。
搬送はヘリコプターではなく救急車で行われた。その方が医師らの作業スペースが確保できるからだった。

病院の蘇生室へ入ると、医師や麻酔専門医、顧問医師、外科医、看護スタッフ全員が(残念ながら皆さんのお名前が分からないのですが)、不可能へと挑んだ。
彼らの動きからは、プロ意識の高さはもちろんのこと、昏睡状態のライダーに向けられた深い愛情が垣間見えた。

そして14時19分。
富沢祥也選手は蘇生室のベッドの上で息を引き取った。
誰かが富沢選手の耳から耳栓を外す。おそらく、その後、上田昇氏とマックス・サッバターニ氏に手渡されたであろう耳栓。
その時、誰かが富沢選手の額に口づけをした。
すると、まるで魔法か何かのように、死が刻み込まれたその顔に微笑みが浮かんで見えたのだ…。
皆が良く知っている祥也の笑顔。
きっと、永遠に忘れられることのない、あの笑顔だった。

オートバイレースの歴史が再び歩みを始めても、パドックでは誰も富沢祥也の姿が見えないことに気がつかないだろう。
なぜならば、あの笑顔が皆の胸の中に生き続けるのだから。

(日本語翻訳:La Chirico / 伊語記事:Clinica Mobile Official Website 2010年9月6日)


今回の伊語記事は、ツィッターでrosarinnさんが
紹介されていて、おかげで辿り着くことができました。
有難うございました。

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POSTED COMMENT

  1. 苺のフレーズ より:

    お久しぶりです。パソコンの故障でご無沙汰していました。
    とても悲しい事故です(>__<)

  2. 苺のフレーズ より:

    お久しぶりです。パソコンの故障でご無沙汰していました。
    とても悲しい事故です(>__<)

  3. mayu_boop より:

    はじめまして。
    富沢選手の記事が沢山あったのでお邪魔させて頂きました。

    訃報から3日経ちますが、いまだに彼の死を信じれらません。
    ひょっこり笑顔で戻って来るんじゃないと思ってしまいます。

    記事を読めば読むほど涙がとまりませんでした。。。

    初めてなのにダラダラと長文すみません。色々と情報有難うございました。

  4. mayu_boop より:

    はじめまして。
    富沢選手の記事が沢山あったのでお邪魔させて頂きました。

    訃報から3日経ちますが、いまだに彼の死を信じれらません。
    ひょっこり笑顔で戻って来るんじゃないと思ってしまいます。

    記事を読めば読むほど涙がとまりませんでした。。。

    初めてなのにダラダラと長文すみません。色々と情報有難うございました。

  5. chirico より:

    苺のフレーズさん、お久しぶりです。
    本当に悲しい事故です。

  6. chirico より:

    苺のフレーズさん、お久しぶりです。
    本当に悲しい事故です。

  7. chirico より:

    mayu_boop様、はじめまして。コメントありがとうございます。

    イタリアのTV中継では、やはりイタリア人ライダーが中心で、日本人ライダーにスポットが当たることが少ないのですが、富沢選手は結果を出していたこともあり、ちょこちょこインタビューを受けて、画面に登場していました。
    その短い時間の中でも、いつも明るいひょうきんな空気を残してくれる選手でした。

  8. chirico より:

    mayu_boop様、はじめまして。コメントありがとうございます。

    イタリアのTV中継では、やはりイタリア人ライダーが中心で、日本人ライダーにスポットが当たることが少ないのですが、富沢選手は結果を出していたこともあり、ちょこちょこインタビューを受けて、画面に登場していました。
    その短い時間の中でも、いつも明るいひょうきんな空気を残してくれる選手でした。

  9. ヤマハ より:

    生きてたら今頃はmotogpクラスだったな。

COMMENT

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