MotoGP

シモンチェッリ母が幼き日を語る《13才の夢追い人》

モトGP『母ロッセッラ:繊細で好奇心旺盛、夢追い人』




[10月27日葬儀を終え、荼毘に付されたシモンチェッリ選手の遺骨を抱える母ロッセッラさん]

マルコ・シモンチェッリは万人にとって特別な存在だった。幼子のような魂を持ち、歓喜に溢れた男。成功し、有名になっても無頓着な様子や、その繊細さが損なわれることはなかったのだ。亡くなった日から、彼を愛した人々の心には様々な想い出が沸き上がってきている。
2000年、母親のロッセッラさんは当時の息子についての想いを綴っていた。シモンチェッリ選手がまだ中学生だった頃で、すでにオートバイレースにも参戦していた。10年経った今でも、文章の中の幼きシッチは、現在の、大人になってからの面影に重なっている。
好奇心旺盛で、誰にでも気軽に応じ、明るく暢気なはずが、ヘルメットを被った途端に別人へと変わるのだ。

ロッセッラさんの綴った文章

《…こう言う変わりゆく時にあるマルコについて書くのは、少し難しい気がします。多分、何年か前の方がもう少し単純なものでしたが…。
とにかく、年齢の割りにはかなり大人びた少年だと思っています。あらゆる事に関心を持つ…それも学校の事だけに留まらないので、気後れしない、のびのびとした風になるのでしょうね

非常に好奇心旺盛で、それはそれで新たな知識を吸収させてくれる素晴らしい一面なんでしょうが、そのせいで、時々、出しゃばりな様子が見られ、じれったくなっているようですね…。今後、成長してゆくうちにバランス良く安定してくれると良いんですが。

時々、こちらがドキッとするぐらいのデリケートな繊細さを隠し持っています。理解力も非常に深く、自分自身のことだけでなく側にいる人間に対してもそうですね。自分がやっている事に自信を持っているし、大体いつも成し遂げられると信じています。達成感を得て、満足することが大好き。競争心も旺盛で、ある面から見ると良いことですよね。そのお陰で最善を尽くして頑張ろうとはしますから。ただ、別の面から見ると…。

考え深い子です。何も考えずにポンポンと物を言ってるように見えるんですけどね。ここ数年は、父親ととても仲が良いです。長い時間を一緒に過ごしているし、仲間意識を持てるようなことも多いですから。マルコがやってるスポーツのお陰で、ああ言う仲間意識を持てているってことは絶対ですね。私との間には、多分、色々な理由からか、少し距離が生まれているかな。年齢のせいもあるし、妹が生まれたせいで私の時間が取られてしまって、以前のようにマルコだけと言うわけにはいかなくなったし…。

マルコと一緒に過ごしたことのある方なら、あの子が物事をパッパッと片づけないタイプだと、すぐに分かると思います。興味があるとかないとかに関係なく、まるで時間なんて何も意味がない…時間なんて過ぎていってないんだって感じ…いつだって全部やれる時間があるんだと…。あの子と一緒だと、時間通りにやるってことは本当に骨が折れることなんです。

また、これもあの子と言う人間の一部なんですが、あの子がやっている…100分の1秒を競い合うスポーツでは、すっかり正反対になるんです。普段を知っている者にとっては、驚くなんてもんじゃなく…ほとんど信じられないですよ。ひと度、オートバイに乗った時の変わりようときたら。敏捷さ、集中力、根性、決断力…そう言ったものが、全てあたりまえになるんです。

将来に向け、マルコは夢をたくさん抱いています。この年齢の子供は皆そうですが…それが叶わなかったらとても悲しむでしょうね。
13才と言う年齢は、こう言う惜しみのないものですよね。ある面は本当に素晴らしい…成長して行くのもアッと言う間かと思えば、同時に、もの凄く遅かったり…毎日が戦いの日々で、良い結果を出そうと思ったら、色々なことを上手く振り分けてあげられるようにならなければ。それが親の目標なんだと思ってます。》

(日本語翻訳:La Chirico / 伊語記事:Gpone 2011年10月27日



上記の文章は、当時、シモンチェッリ選手が通っていた中学校の保護者活動の一環として書かれたもののようです。

マルコ・シモンチェッリ選手のご冥福を心よりお祈りいたします。
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