連日、あちこちから話題が出てくるわりには…
当のヴァレンティーノ・ロッシさんは、どこにいるのやら…ウンともスンとも言いませんなぁ…
モトGP『ビアッジ:ボルトのようになりたかった』
★今日の『SKylive』にゲスト出演したマックス・ビアッジが、ファンからツイッターで寄せられた各種質問に答えた。
★先頃、引退したばかりのビアッジ氏は、後日、恒例となっているアメリカ休暇旅行に出発する予定。
★マックス・ビアッジのコメント
「(アメリカ休暇旅行は)は恒例で、今回は家族全員で行く予定。アナハイム(カリフォルニア)のスーパークロス開幕戦は絶対に見逃せないんでね。雰囲気も最高…アメリカってのはショーの見せ方を分かっているから、その後は、いつも80年代の偉大なるモト・チャンピオン全員と会ってるんですよ。
もしライダーになっていなかったら…ウサイン・ボルトになりたかったかなぁ。結局のところ彼も速いわけだ…自分の足を使ってるけどね。何かで読んだんだけど、今後…10年後には100m9秒以下になるかもしれないんだって…まったく信じられないような事だね。
(ライダーとしてのデビューは遅かったが…)そうだね…ローリス・カピロッ氏が世界選手権125ccクラスでタイトルを取ってたのは17才…自分は、実際にはその頃に始めたんだからね。
(V.ロッシはあらゆる時代を通じて最高ライダー?)なんとも答え難いが…かつて最強ライダーらの時代があったわけで…ローソンやレイニー、シュワンツなんかのね。そうだと答えたなら、彼らに対して失礼に当たるだろうなぁ。それに、彼らはかなり難しいマシンに乗っていたしね…500ccの2ストロークで、当時は170馬力で115kgあったんだ。オレがやってた時代だと、事故防止を図って130kgまで増やしてたけどね。勝ってたのはこの3人…それ以外の選手はレースの合間合間はギブス姿だったから。
(故マルコ・シモンチェッリについて)シッチはセレーゾ選手を彷彿させるんですよ…ブラジルのサッカー選手なんだけどね。身体の力が抜けていて、いつも笑顔で穏やかでね。あのイモラ戦では2人でもって良いリザルトを出したんだ(※管理人注:2009年、中野真矢選手の代役としてスポット参戦した。)…レース1ではオレが2位で、レース2ではシッチが3位のオレが4位。縁ってやつかなぁ…その後、彼のチーフメカニックがオレの所で働いてくれたんだからね。
(シッチの事故について)ライダーって言うのはそう言うことは考えないものなんだが、ただ、起きてしまった時には、また気を引き締められるんですよ。」
(日本語翻訳:La Chirico / 伊語記事:2010年12月18日 Gpone記事より抜粋)
でもねぇ…
以前だったら、ビアッジ先生も、もっと…
「ロッシ?ふん!最高ライダーなんかじゃないでしょ!!」って、一刀両断って感じだったと思うんですが…
ちょっと口ごもるあたり…引退して、なにか変わってきたんでしょうかねぇ…
あら…一刀両断してる方もいました…
モトGP『キリ:ビアッジ攻撃 “解雇させられた”』
★フランキーことピエールフランチェスコ・キリ元選手が『Panathlon Club Bologna 1957』のX′マスパーティーで、マックス・ビアッジ元選手およびヴァレンティーノ・ロッシ選手らを酷評した。ジャナーリストのアルベルト・ボルトロッティ氏が今朝、自身のサイトに記している。
★キリ元選手のコメント
「ビアッジだって?ヤツのせいでTVの仕事はクビになったよ。わざとらしいヤツさ。政治的にヤツは好まれてるんだ。
(トロイ・ベーリースは)ああ、あいつは本物だね。(カール・フォガティとは)かなりキツい言い合いをしたが、和解してからは敬意を払ってるよ。
ヴァレンティーノ(ロッシ)には、まったくがっかりだね…2年目は強くなるかと思ってたのに…ドゥカティとはずっと交わり合わずに平行線だったわけだ。」
(日本語翻訳:La Chirico / 伊語記事:2010年12月16日 Omnicorse.it記事より抜粋)
なんか…忘年会の酔っぱらいと言う感もありますが…
しらふだったんでしょうかねぇ…
さて、本日のおまけ映像は…
スペイン『SoloMoto』サイトが
「本当にもの凄い。とことんまで正確な隊列は必見。」と絶賛しておりました…
『神奈川県警視閲式白バイテクニカル走行』!!