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ダライ・ラマに助けられた:トニ・エリアス

世界オートバイ選手権で、今年から新たに作られた『モト2』クラス。
10月10日、マレーシア開催のセパンGPでは、スペイン人ライダーのトニ・エリアス選手(下写真の右側)が見事、初代チャンピオンとなりました。
来年は、またまたモトGPに復活するようですが、ここまで来るのに色々と苦労が絶えなかったようです。
あの、ヴァレンティーノ・ロッシ選手からは目の敵にまでされちゃったそうですから…。

モトGP 『ダライ・ラマに助けられた:トニ・エリアス』

「自分はライダーになったんじゃなくて、ライダーとして生まれてきたんです。生まれて2日目には、家族が経営していたモト・ショップに居たんだって言われました。」
モト2の新世界チャンピオン、トニ・エリアス選手が、自身の運命は遺伝子に組み込まれていたものだと説明する。
祖父のトニ氏はスピードレーサー、父は(やはり名前はトニ…)モトクロスの英雄(スペイン・タイトル12回獲得)、そして叔父のホルディ氏はモトクロスのチャンピオン。バイクからの手招きに“NO”と言うのは無理なことだったのだ。
しかしながらチャンピオンになるために、エリアス選手は戦い、苦しまねばならなかった(激しい事故の結果、肉体面においてもだ)。
125cc、250ccクラスで活躍していた時も(常にマヌエル・ポジャーリ選手には敵わなかった)、また、モトGPで5シーズン走り、その後、格下げして新カテゴリーのモト2に参加した時もだ。こちらは、ベテランの図太さで制覇したが。

一歩退いたのが、明らかに功を奏しましたね。
「時々は、そう言うものですね。僕の場合はね。上のカテゴリーへの復帰を目指しながらね。来年、復帰となる予定です。ただ、こう言う行ったり来たりの中で、往復切符なんか誰もプレゼントしてくれませんよ。自分のキャリアの中で学んだんですが、チャンピオンになったと言う経歴がオフィシャルチームに入る手助けをしてくれるんですよね。モトGPで勝つには、オフィシャルが絶対条件ですから。」

だから、以前モトGPに参戦されていた際、上手くいかなかったのだと?
「それほど悪くなかったですよ。2シーズン目には1位も1回あったし、毎年、少なくとも1回は表彰台に上がってましたしね。ただ、2006年末のレギュレーション変更でね。オフィシャルのマシンに乗ってなきゃ、勝てなくなりましたから。」

2006年のことは良く覚えてますよ。開幕のヘレス戦でヴァレンティーノ・ロッシ選手を転倒させ、それからポルトガル戦では0.002秒の僅差でロッシ選手を敗り、同シーズンでロッシ選手は5ポイント足りずに優勝を果せなかった。
「あの年、ヴァレンティーノ・ロッシは世界選手権で優勝できませんでしたね。特に、技術面での一連の問題があったしね。大会の審判ぶるつもりはありませんが、あのレースでの1位は自分にとって役に立ちました。この件について、ヴァレと話した事はないんですが、ただ、時々ね、彼の表情がこう言ってるようだなってことは気づきました。“どうしてあの日、お前はトラックに出てきたんだよ。バール(喫茶店)でコーヒーでも飲んでりゃ良いものを。”って。ロッシ選手って言うのはね、彼にとってマジな敵になるぐらい上達しなければ、友達になれる人間ですよ。敵になった時には、完全に変わってしまう。感じますよ。そこが強味ですよね。心理的に相手を操作できますから。」

ロッシ選手にとっての『死刑執行人』だったと言うのは、損な役回りでしたね。イタリア人から警戒されてしまったのでは?
「あの件を面白く思わなかった一部のファンからだけね。それ以外は、イタリア人との関係は牧歌的と言っても良いぐらいです。ヤマハのマシンに乗って、モトGPに初めて参戦した時以来ずっとね。僕のキャリアを通して、イタリアと言うのは常に強い存在感があります。マシンかチーム、それかエンジニアか。グレジーニ・チームは僕にとって第2の家族ですよ。このチームには技術面での競争力があり、それに、オフィシャル・チームにはないような人間的な空気があるんですよ。」

しかし、幸運なことに貴方はスペイン人ですよね。支配力を持っているのはスペイン人の方じゃありませんか。バイクに限らずね。なぜでしょう?
「簡単に説明できるような話じゃないのは確かですね。バイクに関して言うなら、長年、最高のプロモーション活動や、スポーツとしての開発がされてきたからだと思います。この活動は成果を上げ続けていますね。バイク以外に関しては、スペイン人にとって成功し続けていると言う状況が確固とした根っこになっているんじゃないでしょうか。もちろん、ラッキーな偶然の結果とも言えますが。生涯、この状態が続くとは思ってませんけどね。」

他のスポーツで好きな選手はいますか?
「テニスのラファエル・ナダル選手にとても憧れますね。腕前もさることながら、あの並外れた迫力がね。まるで鼻息の荒い雄牛みたいで。」

エリアス選手もかなり迫力ありますよ。
「このスポーツでは大切ですよね。特に、レースによっては終盤で役に立つ。でも、モト2なんかではね、管理能力を学ぶ必要がありますよ。あらゆる方向から襲いかかってこられて、追い越され、ぶつかられ、コースの外に追いやられるんですから。レース序盤では、あっちこっちから乱打されてましたからね。僕はね、大人しく大人しくしていて、それから抜き出して、1位になってました。」

バイクは子供の頃に始められたんですよね。自発的に?それとも誰かにけしかけられて?
「家族が経営するモトショップで、バイクに囲まれて遊んでました。4歳の時に、ミニ・モトクロスの大会に出てみないかって言われたんですよ。最下位で、泥だらけになってゴールしてね。1年後にも出場して、やっぱり後尾の方で泥だらけゴール。向いてないんじゃないかって思ってね。それでミニ・モトのレースに出てみたんです。そうしたら1位で、泥にもまみれずキレイなままゴールしてね。皆から、“どうしたらあんなに上手に乗れるの?膝を開いたり閉じたりして…。”って言われて。
単純な話なんですよ。TVでシト・ポンス選手、ファン・ガリガ選手、ケビン・シュワンツ選手、それから僕のヒーローのウェイン・レイニー選手らを観て覚えたんです。気持ちよかったですよ〜。1位でゴールして、キレイなままでいられたんですから。」

子供の頃から始めた方が良いものでしょうか?
「ええ。楽しくやってられるうちまでね。僕は13才までは遊びでバイクに乗ってました。レースに出て、プレッシャーは感じてました。ただ、親に背中を押されて、結果について色々と言われ、“あのコーナーは、もっと強く突っ込め”なんて言われてのプレッシャーじゃなかった。そんな風にしてたら、確実に2〜3年後には辞めてしまいますね。サッカーしに行っちゃいますよ。」

子供時代、バイクをやっていたために犠牲になったことはありますか?
「いや。好きでやってましたからね。1日中トレーニングしたがってたのも僕の方だし、暗くなったら“もう1周!いいでしょ、父さん。もう1周走るから、タイム計ってよ!”って言ってたのも僕でした。」

ちょっと子供っぽさが残ってますよね。現在もご家族と同居されているのだとか?
「正確には違いますよ。建物は同じだけど、僕は上の階に住んでますから。とにかく、僕にとって家族って言うのは非常に大切なものなんです。穏やかな生活を望んでますから。友達ですか?少ないですが、良い友達がいますよ。たっぷりトレーニングしてね。もうそれ自体が趣味なんですけど。できる時には自転車やマウンテンバイク、市販バイク、トレッキング、サーフィンなんかもね。それから映画(コメディー、恋愛映画)に、あらゆるジャンルの音楽(U2にはまってる)。そして良い内容の本。気に入ってるのは『Exito(訳者注:おそらくジャック・キャンフィールド著『絶対に成功を呼ぶ25の法』かと思われます)』って本です。すっごく特殊な内容で、セルフコントロールとか自己認知能力について書かれてるんです。2007年にアッセン戦での事故で重傷を負った時、この本がとても役立ちました。片足を骨折し、そして、とても重要な人間関係を断った時でしたから。」

その本が、再起に役立ったのですね?
「この本だけじゃありません。偶然の出会いもあったんです。事故後、ブルノ戦に復帰するのに化け物じみた鍛錬をしていたんですよ。もうヘロヘロになっていてね。走るのを辞めたかった。ポルトガルへ向かう飛行機に乗ったら、ダライ・ラマが乗り合わせてたんですよ。僕にとってずっと魅力的な人物だったんです。著書も読んだし、仏教にも興味があった。もう、どうしても会ってみたくて、乗務員相手に大騒ぎしてね。ポジティブな感覚を得るには、その姿を眺めるだけで充分でしたね。数分間、話もさせてもらいました。ポジティブな波動が伝わってきましたよ。困難な時期における、なにかの兆しかなって思いました。その後の日本GPでは表彰台に上がることができましたから。」

もしかしてダライ・ラマ師が今回の総合優勝を知って、お褒めの言葉をくださるのでは?
「そうなったら素晴らしいでしょうね。でも、エミリオ・ブトラゲーニョ氏からはあると思いますよ。80〜90年代にレアル・マドリードのエースだった方です。毎回、1位になる度にお祝いメッセージを頂いてましたから。ブトラゲーニョ氏と一席設けなければならないんですよ。不快になられなければ良いんですが。僕、FCバルセロナのファンなんで。これでペップ・グアルディオラ氏や、彼の右腕で毎回ホームスタジアムのカンプ・ノウに招待してくれてるミゲル・エスティアルテ氏(編集部注:元水球チャンピオン、FCバルセロナの幹部)を羨ましがらせてやれないかなぁ。」

(日本語翻訳:La Chirico / 伊語記事:SportWeek 2010年10月16日 写真

オリジナル記事が掲載されてる
『SportWeek』の公式サイトの方に、
まだ記事が出てないもんで…
出たら、ちゃんと良い写真、付け替えますね

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