MotoGP

ストーナー独占インタビュー中編『ロッシが1勝もできないことは分かってた』

モトGP『ストーナー:ロッシがあんなに後ろになるとは思いもしなかった』



[ 前編はこちら ]

ホンダでは経験不足なわけだし、プレシーズンテストでは悪天候に見舞われましたが、ストーナー選手にとっては何ら問題になっていなかったような…。
「かなり厳しい時もありましたよ。セパン・テストではね、自分達が今までそこで走らせたことのないマシンでもって走り始めるわけだし。
ベースも何もなかったし、実験してみなければならないことも何度もありました。ラグーナセーカとブルノは悪くなかったですが、大半のレースではいつもレース当日になってやっと解決策が見つかると言った感じでしたね。」

800cc時代のドゥカティ初のチャンピオンであり、ホンダ最新のチャンピオンでもあるわけですが、どちらに対しても同じような満足感が得られたのでしょうか?
「最初の時はホッとしました。初表彰台の時と同じでしたね。ずっとそのために戦ってるわけで、それを獲得できた日って言うのは重荷が取れますよね。素晴らしい感覚ですよ。その後の何年間かはタイトル獲得は厳しくってね。手首を痛めてしまったし、その後は、あの乳糖不耐症の一件が続いてね…。そのうえ2010年にはトップグループに返り咲けるようなリズムを取り戻せなくって、このシーズンも特別なものがあったんですが証明できなかったですね。」

子供時代にはミック・ドゥーハン選手に憧れていたと良く仰ってましたが、タイトル獲得したフィリップアイランド戦では何かアドバイスがあったのですか?
「特になにも。ミックとは良く話をするんですが、レースについてはほとんどしませんね。家族のこととか、彼のショップのこととか…。オートバイに関して僕にアドバイスしすぎない方が良いって、ミックは分かってますから。それぞれ時代が違いますしね。マシンもタイヤもライディングも、もはや彼にとっては知らないことばかりだし。各人、自分で学んでいかなければ。」

2007年のタイトル獲得は誰も予想してませんでしたが、今年は最初から優勝候補でしたね。そのことでプレッシャーがきつくなりしましたか?
「いいえ、そうは思いません。僕は2007年以降、常に優勝候補の1人でしたから。ただ、最初のタイトル以降、好リザルトは得られませんでしたが。もちろん、獲得しようと常にベストは尽くしてきたんですが。マスコミでは僕のことを悪く書いてプレッシャーを与えようとしていたところもありましたけどね。マスコミに対して僕の態度が良くないとか、ファンとの関係が悪いとかね。僕はレースが好きだからここに居るんであって、その他のことはどうでも良いんです。」

シーズン中、ホンダ機は大きく変わりましたか?
「いいえ。開幕戦以来、そう大きな変化はありませんでした。マシンのことを熟知しようと細かい所の作業はしてましたが。ラグーナセーカではリアサスペンションを改良しようと、ちょっと手を加えました。マシンのスリップが酷くて、タイヤの温度が上がり過ぎてたもんですから。
でも、マレーシア戦で使ったのはベースマシンで、2月のテストに使ったのと同じのでしたよ。ベースを他のコースにも適合させる程度のことしかしてません。」

それほど大きく変える必要のないマシンで戦い続けた…と言うのが勝利の鍵ですか?
「あのマシンの最大パフォーマンスにはまだ達していないと思ってます。作業に費やせる時間がもう少しあったなら、まだまだ良くなりますよ。改良の余地はたっぷりありますから。ただ、僕の思った通りじゃないからと言って不満を言う気はありませんけどね。とにかく勝てるマシンなんですから。」

2010年には目で見るだけだったRC212V機ですが、実際に乗ってみて想像通りのマシンでしたか?
「全部が全部と言うわけではありません。もっと加速が良くて、中速でもっと馬力のあるマシンだと思ってました。その代わり、トラクションがこんなに良いとは思ってませんでした。僕としては、そこが強味になってます。当初はブレーキが問題点でしたね。他のライダー用の調節を僕のライディングに合わせなければならなかったんで。そこがシーズン通して僕らが大いに進歩させた点の1つですね。」

今シーズン、ヴァレンティーノ・ロッシ選手がドゥカティ機で苦労してましたが、ストーナー選手としては気が軽くなられたのでは?
「わざわざそう言うことを考えなくても、僕がドゥカティでやってきたことには自信も誇りも持ってますから。でも、がっかりしてるんでしょうね。僕がやってきたことを上回ることができなくって。みんな、あれは凄いマシンだって思うあまり、僕自身は低く見られてたものですよ。メランドリ選手とかヘイデン選手なんかは、僕がデスモセディチ機で成し遂げたことに一度も達っせなかったんですが。
どちらかと言うと、ヴァレンティーノがどんな風に解決するのか興味津々でしたね…。でも、僕が乗ってた時ほど速くはないにしても、あそこまで遅いとは思ってもいなかった。一勝もできないことは分かってましたけど。僕らがあのマシンで勝つために何とかやってきたことは、実際には誰にも分からないだろうと思ってますが…。」

[ 後編に続く ]

(日本語翻訳:La Chirico / 西語記事:Solo moto 2011年12月26日




今頃、オーストラリアでマスでも釣ってるんでしょうかねぇ…

引き続き、アドリアーナ夫人に安産祈願クリックPrego
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