MotoGP

A.バウティスタ:もうスズキじゃないんだから毎回優勝しなきゃ…

モトGP『バウティスタ:来年は最高の機材で戦える』




(※訳者注:同記事は11月17付で、スズキのモトGP撤退が公表される前のものです。)

アルヴァロ・バウティスタ選手(1984年タラヴェーラ出身)と言えばスズキのモトGP撤退の噂を受け、本来ならば今頃、路頭に迷っていたのかもしれない。ところが来シーズンに向け、最高のマシンを獲得することとなったのだ。
運命の悪戯とも言える訳だが…バウティスタ選手自身の働きに依るものではある。マルコ・シモンチェッリ選手の不慮の死により巡ってきたチーム移籍だが、闘志を奮い起こしているのだ。
O.I.D.協力後、当『MARCA』紙のインタビューに答えてくれた。

スズキがモトGP撤退だろうと言うことで、バウティスタ選手の移籍は正解だったのでは?
「僕の移籍前から状況は明白でした。実のところ、移籍の決断はそれ故だったわけですから。基本ラインとしては2012年は800ccで、2013年まで1000ccには乗れないって話でした。ただ、それも100%確実な話じゃなかったし、今となっては来季残留できる可能性はほとんどないわけだし。僕が他の可能性を探して動き始める理由になりましたね。もったいない話ですよね。偉大なチームだし、立派な人達ですから。この2年間、僕と一緒に懸命に働いてくれました。モトGPに参戦して然るべきなのに。スズキはとても重要なファクトリーですしね。ひと頑張りしなければ。モトGPに戻って来て欲しいですよ。たとえ来年は無理でも、2013には戻って来てくれますよ。」

コンペティティブなスズキ機を創り上げるべく2年間戦ってきたわけですが、現在の心境は?無念さ、失意、フラストレーション等はありますか?
「少しずつ全部あります。皆で懸命に作業してきたし、マシンのあちこちを改良してきました。最終的なマシンの状態は悪くはなかったし、充分にコンペティティブだったんです。そりゃあ、ヤマハやホンダ並みってわけにはいかなかったけど、かなり改良してこれたんです。4ストロークエンジン時代で最高の時期を迎えていたのに、その瞬間に後戻りすることになってね。だから、残念な気持ちは確かに少しあるし、腹も立ってます。これまで改良してきたことが水の泡になるんですからね。そう言う風にしないで欲しいんですが。」

個人的には希望の時期が開けてゆくのでは?まぁ、ライダー人生で最高のマシンに乗ると言うことで。モトGPクラスで辿り着ける頂点と言っても良いのでは?
「今回の移籍はとてもポジティブなものだったと思ってます。2012年に向け、最高と言うわけではありませんが、良い機材を獲得したわけですから。とても経験豊富なチームとなりましたしね。僕としては、やる気満々だし、かなり期待してます。他の選手に比べ、うちはスタートラインの段階でかなり良いベースがあるしね。ただ、それは何の保証にもなりませんから。働いて働いて、100%集中しなければね。この2年間と同様に色々継続していかなければ。絶対に甘んじないで、更に上を目指してね。来季、僕にそうできる力があるならば、好リザルトを獲得できるでしょう。ベースになる機材が良いのだから、あとはトップ陣と戦えるようなセッティングが必要ですね。」

ヴァレンシアテストではホンダ1000ccの好調な走りを目の当たりにし、やる気が増したのでは?
「ヴァレンシアって言うのは1000cc機にとっては最悪なサーキットなんです。かなり曲がりくねってるんでね。ただ、かなりハイレベルだってことや、他の1000cc機の上を行ってるってことは披露できたんじゃないですか。こう言うのはモチベーション上がりますよね。だって、こう思うようになるでしょ。“他の選手があんな風に走らせることができてたんだから、僕にだってできるんっじゃない?”って。保証されるじゃないですか。」

あのマシンでなら誰だって、毎日、表彰台に上がってなきゃなんて皆が口を揃えて言ってますが。
「“もうスズキじゃないんだから、これからは全レース優勝しなきゃね”って、みんなから言われてます。あそこで戦ってるのは質の高い選手ばかりだから、倒すのは難しいですよ。トップを走るには全てにおいて万全じゃなければならないし、その日、ツイテもいなければね。一番に好リザルトを要求しているのは、この僕自身なんですよ。それを要求する前に、まず冬期テストを乗り越えなければ。マシンの威力全てを有効に使いたいですね。プレッシャーなしにテストに挑みたいです。“良いテストにしなければ”ってことじゃなくね。マシンを知り、僕がライディングスタイルを合わせ、マシンが僕に合わせるように利用したいです。」

HRC副社長やグレジーニマネージャー、メカニックチームのアントニオ・ヒメネス氏らが、以前からバウティスタ選手のことを欲しがっていたと言ってますが、喜ばしいことなのでは?
「ええ。やる気が出る話ですよね。世界選手権の内部の人間と言うのは、それぞれのやっていることを完全に把握してるものなんです。僕の仕事ぶりを見てくれてたんですね。1人でマシンの開発をするって簡単なことじゃありませんから。マルコの件の前から僕を欲しがっていてくれたことを誇りに思ってます。僕に向けてくれた信頼にお返ししたいです。」

チーム・グレジーニではシモンチェッリ選手の訃報により辛い時期を過ごしていましたが、バウティスタ選手の移籍により希望が戻ってきたと言ってますね。それも良い話ではありませんか?
「ええ。ファウストから、今回のプロジェクトのお陰で希望が戻ってきたと言われました。スポンサーの方もかなり喜んでますしね。全員にやる気があるってことが、とても重要なことですから。それで、好リザルトも取り易くなるでしょう。」

シモンチェッリ選手の事故後、心理カウンセラーらと話してみたんですが、ライダーと言うものはこう言った心痛に立ち向かわなければならないものだし、転倒についても何度も目の当たりにしなければならないものだと言ってました。バウティスタ選手もそうでしたか?
「あの転倒は、避けようもなく目に入ってきました。いつでもどこででも起こっていたことであってね。はっきりさせておかねばならないのは、これは危険なスポーツだと言うことです。そして、残念ながら起こり得ることなんです。幸いにも数は少ないし、僕らも二度と起きないで欲しいと願ってはいますが。気持ちがちょっと萎えますよね。数日の間、悲しくって、クソッタレな感じで…すみません、汚い言葉を使ってしまって。でも、そんな風だったんです。ヴァレンシアGPが始まった時は、気持ちを新たにしようと努めました。もっとポジティブな方へね。気持ちが上向きになってきたなって感じたのは、マシンに乗ってからですね。全てのことが忘れられ、いつも通りになりました。見方を変えられたんで、とてもポジティブでしたね。あの時を境に、また全てが元に戻りました。ラスト1レース残ってたのが良かったんですね。もし、あれが最終戦だったら、皆、非常にキビシい冬を過ごすことになっていたでしょう。」

スペイン人ライダーの多くがシモンチェッリ選手と対立してましたが、バウティスタ選手もそうでしたね。ロレンソ選手のように後悔されてますか?もっと別の形で話し合えば良かったと…。
「そう言う風にならなければね。2008、2009年のレース中の彼の態度のせいで、その後、あまり親しくはしてませんでした。話をすることはありませんでしたね。確かに日本遠征問題あたりから選手達で良く会合を開いてたんで、また会話をするようになりました。ウマが合ったとも言えるし、関係が親密になりましたね。僕は彼を批判したことは一度もないし、悪く言ったこともありません。ああ言う事態で、言うべきことを言っただけでね。危険なタイプかどうかなんてことは、どうでも良かった。あの事についてだけ言ったんであって。何が起こるかなんて誰にも分かりはしないでしょ。そう簡単な事ではないんです。」

ライダー2名が亡くなったチームに移籍する…なんて言われてますが。そう言うことを少しでも考えることはありますか?
「考えません。ただの偶然ですから。あそこのチームには他にも選手はいたわけだし、大丈夫だったじゃないですか。セテ選手はかなりの好リザルトを獲得た時も無事でしたしね。チームメイトが亡くなったのと同じ年だったでしょ。そう言うものです。これ以上の説明は不要でしょ。グレジーニマネージャーはツイテなかった。もの凄い打撃だったんです。ずっと、そこに目を向けていては駄目ですよ。」

以前、ロッシ選手を初めて追い越した際の写真をポスターにするつもりだと仰ってましたが、ホンダ機でも同様に?
「忘れてください。相手はヴァレンティーノですよ。来年は新たなマシンで、何がどうなるかも分からないんですから。もう今からライバル全員のことを考えておかなければ。特にヴァレンティーノのことはね。彼がどんな風に動くかは、皆、知ってますから。」

(日本語翻訳:La Chirico / 西語記事: Marca 2011年11月17日




相変わらず、スペイン紙インタビューの質問って何でもありですね…

でも一度ぐらいは、ロッシを気持ち良く抜き去るホンダ・バウティスタを見てみたい!クリックPrego
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