MotoGP

古沢政生『ヤマハのレース部門はロッシ復帰を望まなかった』


さすがに師走で、モトGPニュースも減ってきましたねぇ…
なんて、のんびりミカン食べてたら…
あらあら、びっくりの年末出血大サービス!!

モトGP『ヤマハ・レーシング幹部はロッシ復帰を望んでいなかったって知ってる?』

solomoto-furusawa.jpg ★ヤマハの元エンジニアとして名高い古沢政生氏が、12月11日発売の『Solo Moto』誌で次のように明かしている。
「ヴァレンティーノ復帰について躊躇していたヤマハのレース部門に対し、同社のマーケティング&コミュニケーション部門が大幅に支持する立場を取ることとなった。

ドゥカティは混乱状態に陥ってしまい、そこから抜け出すのにマシンの長所を犠牲にしてしまった…つまり、加速面をだ。

ホンダは、しっかりとしたトラクションと安定したフロントを保証するようなシャーシ製作に精通した。もはやホンダのシャーシは、実質上、ヤマハのものと同レベルだと言えるだろう。

(2年間でデスモセディチが改善しなかったのは)エンジニアだけの問題ではないだろうし、混乱してしまったからと言うだけの話でもないだろう。トップマネージメント絡みの理由もあるはず。

あらゆる作業を上手く管理していけるような組織を作らない限り、勝てるわけがない。おそらくフィリッポ(プレツィオージ、エンジニア)は、その組織面で問題を抱えていたのではないだろうか。

下で働く者と言うのは『イエスマン』になりがちで…これは危険なこと…こちらも成長して行けないわけだから。

もしヴァレンティーノが最初の失墜後もプロジェクトに信頼を寄せ続けたなら…そして、フィリッポがもっとヴァレンティーノに耳を傾けていたならば、2012年にはデスモセディチももっと改善されていただろう。

フィリッポは優秀なエンジニアだし、向学心もある。ただ、あのポストを担うにはそれだけでは不充分。

ヴァレンティーノにはまだ戦闘力があるだろうし、強い走りができるだろうと思う。若い選手に負けないようトレーニングもかなりしている。

2012年シーズン前半、ホルヘ(ロレンソ)がホンダと交渉をしていたと言うことが明らかになるまでは関係も良好だった。しかし、それ以降は態度が変わってしまった。

ファンの方々にとっては、ヴァレンティーノとホルヘがまた同じピットに入ると言うのは面白い話だろうが、その中で一緒に働く者にとっては…かなり厳しい1年になるだろう。

ヤマハもオートバイも、私にとっては終わった話だが、もしも、ヤマハなりヴァレンティーノなりから必要だと言われたなら…。」

(日本語翻訳:La Chirico / 西語記事:2010年12月11日 Solomoto記事より抜粋)


え〜とですねぇ…
上の『SoloMoto』誌と言うのはスペインで発売されている2輪オートレース専門の週刊誌でして…
同誌の公式サイトの方では、こんな風に宣伝として発売直前のテッパン記事をチラ見させてくれるんですよ。
ちなみに管理人はイタリア在住なもんで、この『SoloMoto』誌は買えません…
しかし!
イタリア発売の『Motosprint』って言う2輪週刊誌が、だいたい『SoloMoto』誌と同じテッパン記事を掲載しとりまして…
早速、買ってきましたよ!3ユーロ!!
これがまた…文字が小さいんだ!
米一粒に4文字は収まりますね!!
それでもって正味6ページ!!!
上に紹介した記事の内容なんて…全体の20〜30分の1ぐらいでしょうかねぇ…
んでもって…また、古沢さんったら…本当に出血大サービスの内容でして…
ホンダとヤマハのマシンの違いをエンジニアの視点から解説してたりとかね…
それから、現在のヤマハ・レーシングのスタッフについても実名入で色々と書いとりまして…
例えば、上の記事で…ずっとロレンソ選手と良好な関係だったのに、今年から態度を変えてしまったって言うのは……Nさん…
いやぁぁぁぁ〜特上ふぐコースとかごちそうするからもっと喋りなさいって言われたら…
全ページ暗記して参上するんですけどねぇ(真顔で冗談)。



あら!
果敢にも某イタリアサイトが、もう少し違う内容を転載しているようですねぇ…
ちょっと…こちらも、ご紹介してみます!?

モトGP『古沢:プレツィオージは組織面で問題を抱えていた』

infomoto-furusawa.jpg ★かつてヤマハでM1機プロジェクトの指揮を取っていた古沢政生エンジニアが、『Motosprint』最新号でイタリア人記者エンリコ・ボルギのインタビューに答えている。

★古沢氏インタビューより抜粋。
「(フィリッポ・プレツィオージと)もちろんヴァレンティーノのために、何かしてあげられないかと思って。それでプレツィオージに真摯な姿勢で情報を提供したんですよ。ボローニャで会合を設けた際、シャーシ担当のエンジニアらも招かれていて(彼らには好印象を受けた)、私と話ができるよう…私の意見が聞けるようにしてくれていました。…その後、日本に帰国して、(ヤマハの)トップと話をしたんですが、私がドゥカティに協力するかもしれないと言う件に関してはあまり喜ばしくないと言った雰囲気で。今は私も他所でコンサルタントができる立場なのだが、じっくり考えてみた結果、生涯働いた会社との関係をこじらせる気にはなれなくてね。

(プレツィオージが組織内で苦労していた)理由は複数あるだろうが、基本的なところで技術的およびコミュニケーション面での問題が大きかった。もしヴァレンティーノがフィリッポとの時間をもっと活用していたなら、2012年には戦闘力も上がったことだろう。勝てたかどうかは何とも言えない…ホンダやヤマハが目覚ましい進歩を遂げていたから…ただ、とにかく改善はされていただろう。」

(日本語翻訳:La Chirico / 伊語記事:2010年12月11日 Infomoto.com記事より抜粋)



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