『フォルカーダ:ヴィニャーレス、クアルタラロー、モルビデッリについては?』
★ラモン・フォルカーダはモトGPパドックでも有数の名チーフメカニックであり、これまでアレックス・クリビーレやアレックス・バロス、ジョン・コシンスキー、カルロス・チェカ、ホルヘ・ロレンソ、マーヴェリック・ヴィニャーレス、フランコ・モルビデッリ等、多数の名選手を支えてきた。
★特に、ホルヘ・ロレンソとはモトGPタイトルを3回獲得し(2010/2012/2015年)、フランコ・モルビデッリと組んだ際は型落ち機で総合2位を獲得した(2020年)。
2022年にアンドレア・ドヴィツィオーゾを担当し、同選手の引退と共にモトGP業界から去り、現在はモトEクラスでRNFチーム(※オーナーはラズラン・ラザリ氏)を担当しつつ、ジュニアGP(旧スペイン選手権)で若年選手らの育成にあたっている。
★フォルカーダ氏はバルセロナの大学で工学を専攻したが卒業はせず、毎週末、耐久レースで働き、メカニックとしてのキャリアを始めた。
★フォルカーダ氏が8月20日付け『Solomoto』のインタビューで、次のように話した。
【マーヴェリック・ヴィニャーレスとは何があったの?】
「(チーフメカニックとして担当した際)上手くいかなかったんですよ…人間関係は良好ですけどね。
マーヴェリックは難しい環境の中、実に速い走りをしてましたよ。実に上手い選手なんだが、いまだにタイトルが取れず…ただ、環境も変わってきたようだしね。
下手な選手がタイトルを取れないのは当たり前だが、上手い選手が取れないとなると…何か他に原因があるわけでしょ。」
【そして、貴方はヤマハファクトリーからプライベートのペトロナスチーム移籍になり…不愉快だった?】
「いいえ。実のところ、ファクトリーチームはあまり良くなかったんでね。
ペトロナスは当初、ホルヘ・ロレンソを入れようとしていたんだが、結局、ホンダに入ってしまったでしょ。
その後、ダニ・ペドロサが入ることになり…かなり話し合いが行われたものの、結局、本人がいまいちだと思ったのか、もしくは(KTMが)上手く説得したのか…。
当初はモルビデッリがNo.2選手のはずだったが、結局、No.1選手ってことになり、本人と話してみた結果、担当することにしたんですよ。
それで今度はNo.2選手探しが始まり、最終的にクアルタラローが入ってきたんだが、当初は捨て駒的な存在でね…空きシートでも出ない限り、どこのプロジェクトにも名前は挙がらなかったでしょ。
クアルタラロー加入は賭けだったんですよ。」
★同インタビューからの抜粋記事は以下のとおり。
・『ヤマハとホンダは、かなり違うの?』
・『なぜヤマハ&ホンダは苦戦しているの?』
・『なぜドゥカティは強くなったのか?』
・『ロッシはロレンソを、なかなか受け入れられなかった』
(参照サイト:『Corse di moto』)
(参照サイト:『Mowmag.com』)
(参照サイト:『Solomoto』)
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クアルタラーロ推してたの、マニュエルペチーノさんくらいだったなあ。
もしロレンソがペトロナスに加入していたら、もう少し(まだ?)現役を続けていたと思いますが、今のクアルタラローは無かったかも…と思うと感慨深いですねぇ。
タイミングや巡り合わせってとても大事。