『ペドロサ昔話:マルケスと組んでた頃、チーム作業と言うものはなかった…』
★ダニ・ペドロサ(40才)は2006年にホンダファクトリーからモトGP昇格し、2013年から引退する2018年末までマルク・マルケスとチームを組んでいた。
★先日、ペドロサ元選手がポッドキャスト『Fast & Curious』で、マルク選手と組んでいた際の思い出話を語った。
【現役時代、貴方はホンダのスター選手として活躍していたが…2013年にマルク・マルケスが加入してからは、どんな感じだったの?】
「マルクがチームに入ってきた時、明らかにピリピリした雰囲気になりましたねぇ。ホンダファクトリーで…少なくとも、あの頃は、チームが2つあるみたいになってしまったんです。
(2選手が力を合わせての)チーム作業なんてものはなかったですよ。どちらが優れているかを検証する…それだけって感じでね。」
【当時のマルク選手は転倒の危険をかえりみず、常に限界ギリギリの走りをしていたが…】
「僕の方は、レースでのリスクを常に最小限に抑えると言うアプローチだったんですよ…僕の場合、転倒すれば即ケガを負うって感じだったんで。
1回のレースウィークで5回も転倒しつつ、表彰台に上がるなんてリスクはとてもじゃないけど…僕には考えられないようなアプローチですよ。
マルクはマシンを5台壊しても、日曜決勝で優勝するか…もしくは表彰台にちゃんと上がるんです。まぁ、異なる『レースウィークのアプローチ』と言うものを学ばせてもらいましたね。」
【ホンダ内でのマシン開発において、貴方は重要な役割を担っていたが…】
「(マルケス加入後も)僕はマシン開発を担っていたし、いくつかの決定において意見を言うこともできたんですが…マルクは(連勝し出した)3〜4年後ぐらいから影響力が大きくなり、経験も増してきたから、自分に合うコンポーネントを的確に決めるようになりましたね。」
(参照サイト:『Corse di moto』)






ペドロサのことは好きなんだけれども
マルケス加入前に限った話でも
2006年から2012年までの7シーズン勝ちきれなかったというのは客観的事実
マルクとの開発の話はよく出てきますがヘイデンとペドロサで履くタイヤメーカーが違ったからデータ共有できずっていう事情はあまり出てこない
2011年にはストーナーが
2013年にはマルケスが
それぞれダニペドロサスペシャルと言えるようなマシンでチャンピオンを取った
しかもチーム加入1年目で
これをダニの開発能力のおかげと見るか
マルケスストーナーの才能と見るか
あるいは2人なら勝てるマシンでついにチャンピオンを取れなかったと見るかあるいは全ての複合かは悩ましいところです
ただ現役当時はプーチのおかげでファクトリーの椅子に座り続けられているという批判もあったことを覚えていますし
ペドロサの方が自分に合うマシンを作ってもらっていたでしょう
2004年末?にノリックがロッシにしたインタビューでのロッシの言葉。 「ホンダはとても簡単に速く走れるので、ヤマハに移籍して、自分のライダーとしての実力を証明したかった」、そして2011年にケイシーがホンダに移籍した際の言葉、「RCVは乗りやすく、どこのサーキットでも高いパフォーマンスを発揮できる」、そして初年でチャンピオンをとった。様々な見方があるけど、モトGP開始後~2010年くらいまでのホンダは、誰が乗っても速く走れるものだったが、マルクの移籍後、何かが変わった。マルクが狙ったというより、あそこまで速く走れる人間と同じことを出来る人間がいなかったからだと思う。ダニの引退後、ポルが、そしてホルヘがホンダで苦戦を強いられた。それはマルクのような規格外のライダーにより時代を支配したことによる反作用で、ドゥカティでそれが起き始めているような気がする。
ダニはその人柄から日本人好みでファンも多く、自分もダニのことが大好きなんですが、最後までチャンプに手が届かなかったのも事実ですね。125や250では断トツのチャンプでしたが。
彼の体格ではモトGP機を操るにはかなり苦労が多かっただろうし、何よりケガが彼のライダー人生を縮め、あと一歩チャンプに届かなかった一因だと思います。
またそういうことを乗り越えようとする姿勢が彼の魅力でもあったわけですが。世界チャンピオンになるというのはやはり何かしら特別なものを持っている人がなるんだなぁとも思います。
走行中に後輪の車速センサーを引きちぎられるという空前絶後のアクシデントがなければ2013年はペドロサがチャンピオンでした。
そしてそのセンサーを引きちぎった張本人がマルク。
肘のスライダーで引っ掛けたのでわざとではないと思いますが、あのマルクですからねぇ。。。。
もしかして・・・と思ってしまいます。